道場での一騒動の後、は土方の傍に控え、彼が使いの品を確認するのを待っていた。
 よし、と言われたので、すぐ使用するもの以外は所定の位置に片づけていく。
「……あの、何か不手際でもありましたか?」
 視線を感じたが振り返ると、土方が何か言いたげな表情でを見ていた。


君の気まぐれに一一憂



「不満か……?」
「は、何がです?」
 主語を抜かすのはやめてほしい、とは思う。信長に仕えていたときもそうだったが、小姓として主の感情の機微を窺うというのがどうにも苦手なのだ。
「俺の小姓にさせた事だ」
 ああ、とは得心した。
 冷酷非道の鬼。それがここ数日の間に何度も聞いていた土方の評判であった。しかし実際のところは彼も人の子のようで、今もこうして少し迷うような表情を見せている。
「いえ。ご存知の通り、私には将軍に対する尽忠の志などございません。そのような人間に斬られては、浪士達も可哀想でしょう?」
 この事に関して、に迷いは無かった。
 衣食住さえ保障されていればそれで充分なのだ。それと引き換えに彼らが人殺しを求めるなら吝かではないが、自ら志願してまで人を殺すような趣味は無い。
「……そうか」
「あ、そうだ。京の地図などあればお借りしたいのですが。未だにこの時代の地理がよく分かっておりませんので」
 このままこの話題を続けても不毛だろう、とはやや乱暴に話題を変えた。土方もその意図を察したのか、終わった話とそれ以上掘り返すことはしなかった。

 そのまま土方の居室で現代の常識を教えて貰いながら書状の整理や代筆の仕事をしていると、気づけば日は沈みかけ東の空にはうっすらと白く三日月が浮かんでいた。
 どうやら今晩は、を含む新入隊士達の歓迎会を開くらしい。
 賄方の山崎歩に何か手伝おうかと申し出たが、「クンは歓迎される側なんやから!」と固辞されてしまった(実際のところ、歩は既にの残念な調理能力を目の当たりにしていたのだ)。


***


 そうこうして宴会が始まった。
 ヘベレケに酔った男達が次々とに絡んでくる。特に原田左之助と永倉新八はその筆頭で、どこから仕入れてきた情報なのか、次から次へと質問攻めにしてきた。
「なあ、ってさー。総司から時々女の名前で呼ばれてねぇか? 確か……“”ってよー」
「ああ。それですか……」
 原田の質問に、は不快感を隠さずため息を吐いた。
「そうそう! あ、もしかして。クンって女の子なの!?線も細いしさ!!」
「もしかして本当なのか!?」と他の隊士達が詰め寄ってくる。
 沖田のせいで面倒な事になった、とは苦々しい思いであらかじめ考えていた言い訳を話し始めた。
という名前は私の幼名です。生まれた時、非常に体が弱かったらしくて……。私の故郷では、そういった子供には女の名前を付ける風習があるんです。沖田さんは面白がって女名で呼ばれますが、全て無視しますので」
 嘘は堂々とついた方がいい。
「へー、でもそんな細っこい腕じゃ無理もねえなあ」
 と、原田は袖から覗くの腕を見た。しかし原田に比べれば誰だって細い部類に入るだろう。
「ははは。今は関係ないですし、元服してという名も貰っておりますから。それに、こう見えてちゃんと筋肉ありますよ、ほら」


***


 沖田は鉄之助と縁側で話をしていた(彼は入隊叶わず不貞腐れていて、くだを巻いた酔っ払いのように話が長かった)。

 ようやく宴会の場に戻ってきたところで、目の前に広がる光景に沖田は自分の目を疑った。
────なんと(彼女は正真正銘の女だったはずだ)が隊士達の前で着物を上半身脱いでしまっているのだ。
「な、何やってるんですかさん!?」
「おお、総司! 今、が見た目の割に良い筋肉してるって話してたんだよ! 腹もしっかり割れてるし、胸筋もスゲェしな!!」
 そう言って原田はバシバシと強くの胸を叩く。勿論さらしをしっかりと巻いている状態なのだろうが、ある程度の厚みは隠しきれていない。それを鍛えた胸筋だと言い切ってしまうの大胆さに沖田は舌を巻いた。
「イタタ、やめてください原田さん。火傷の傷、まだ治ってないんですから」
「おお、悪かったな!ガハハ」
 さらしを巻いているのはそういう設定にしたらしい。
 は面倒くさそうな顔をしながらも無視はせず質問攻めに答えている。隊内でも随一の美形であることも相まって既に隊士達の人気者になっているようだ。

────さんを敵に回すと怖そうだ……隊士達の様子を見て沖田はそう確信したのだった。


***


 此れは余談であるが。
 数刻後、は歓迎会にて自身の好感度を上げすぎた事を酷く後悔することになった。雑魚寝している同室の者達、さらには別室の者までがの布団に押しかけては "衆道の契り"を結ぼうと迫ってきたのだ。
 勿論、こんな奴らに"掘られる"のはとて真っ平御免であった。
 襲ってくる男達を千切っては投げ千切っては投げ、貞操は守ったのだが、 毎晩こうなってしまうのであればたまらない。

 結局、翌日からは沖田の所に押しかける事になった。押入れの中ではあるが、貞操を狙ってくる男共との雑魚寝よりはマシである。沖田の部屋と土方の部屋は隣り合っている。鬼の副長と一番隊隊長の側で無体を働こうとする気概のある隊士は居ないだろう、と考えたのだ。
 こうしては静かな寝床を確保することに成功した。 今まで鬱陶しいと思っていた沖田の存在に初めては感謝したのだった。