幕末、京都。


***


 迷子になって終わった京見物の後、沖田はを勝手に連れていなくなった事で土方にこってりと絞られることとなった。
「……とにかく。一度引き受けた以上、放り出すわけにはいかねぇしなあ」
 微妙な雰囲気を出しながら正座する二人を前に、土方は唸る。
 沖田から詳しい話を聞き、状況は分かった。しかし、どこにも居場所がないというをどうするか、妙案が都合よく浮かんでくることはない。
「新規隊士とすればどうです? さんの剣の腕はかなりのものですし」
 とは沖田の言である。
「だがなあ、そいつは女だろう」
 土方は再度唸った。
 土方としては、女を入隊させるのははばかられた。新選組は『武士』の集団なのだ。
「私は別に、なんでも構いませんが」
 自分の事であるはずなのに、の発言はいい加減でまったくもって真剣みに欠ける。土方は真面目に悩んでいる己が馬鹿らしくなってきた。

────結局、織田信長の小姓だったというの話もあって、土方の小姓とすることで落ち着いた。賄い方にするという案もあったのだが、ためしに作らせた料理は到底人が食べられるものではなかったのだ(よもや毒を盛られたのかと土方は思った。)。


一つのわりが始まりを告げる



さん!さん、さん……!」
 街に出ようと門へ向かうを、沖田が何度も大声で呼びながら追いかけてきた。
 さっそく小姓として土方から買い物を頼まれたところであった。
 はしばらく無視して歩き続けていたが、沖田の呼びかけが止まる気配はない。あまりのしつこさに、は不機嫌をそのまま顔に出して振り向いた。
「沖田さん、話を聞いていなかったんですか? これから私は“比古”と名乗る事になったはずですが」
 『』とは、の弟の名である。小姓として男装することになったは、弟の名を借りることにした。馴染みのあるこの名であれば、ボロも出にくいだろうと考えたのだ。
「あ、ああ……!すみません、忘れてました!」
「はぁ……。貴方が女の身で隊士に混ざるのは危険だ、とか言ったんでしょう」
 つい先刻の事も忘れたのか、とは大袈裟に呆れてみせた。

「それで、何の御用ですか?」
「土方さんにお使いを頼まれたと聞いて、 ……さんはまだ京に不慣れでしょうから、道案内をしようかと思いまして!」
「要らぬお世話ですよ。迷いそうになったら地元の方にでも聞きますし」
「え、でもそれは……」
「そういう事ですから、これで失礼いたします」
 沖田の言葉を遮っては話を切る。
 沖田はまだ何か言いたそうにしていたが、 結局何も言わず子豚(サイゾーというらしい)を連れて屯所へと戻っていった。


***


 沖田の申し出を断り一人で来てしまった事、それをは一刻ほどしてから後悔することになった。

 土方の要望は墨や紙など一般的な物であった。すぐに調達できるだろうと思っていたが、土方は意外にも凝り性らしく、それぞれに買うべき店まで指定してきていた。
 そこまではいい。
 指示された店を一つ一つ、街の人達に尋ねながら着実には買い物を済ませていった。の容姿は老若男女にやたらと受けがよく、初対面であるに対しても『綺麗なお兄さん』とか『色男さん』などと言って親切に教えてくれたし、時には商品をオマケしてくれたりもした。

 問題はそこからだった。
 全ての買い物を終えたは、店主に新選組屯所への行き方を尋ねた。
 するとそれまでニコニコと愛想よく対応をしていた店主の顔が一瞬にして酷くゆがんだのだ。店主は『あんた壬生狼なんか!?』と声を荒げ、はぐいぐいと背中を押されて問答無用で店から追い出されてしまった。
 店主の大声を聞いたのか、頬を染めながらに接客していた近くの店の女達も、尽くの視線を避けて店の奥へと引っ込んでしまう。
 その光景をなすすべもなくは見つめ、大きなため息を吐いた。
────どうやら彼らは相当の嫌われ者らしい。
 仕方がないので、記憶を頼りに元来た道を戻ることにした。
 の方向感覚が正しければ、どこかの道を抜ければ大幅な近道になるはずだった。しかし先日沖田と二人して迷子になった記憶が、には人生の汚点として強く刻まれていたのだ。


***


 半刻後、は無事に屯所―壬生狼の巣窟―へと戻ることができた。
 門扉をくぐると、おそらく道場の方であろうか、がやがやと非常に騒がしい。このような血の気の多さが京の人々に嫌われる所以なのだろうか────とはいえが新選組について知っていることはあまりに少なく、判断はしかねた。
 気に食わないが、後で沖田にでもこの時代の情報と新選組について聞いておく必要があるだろう。そう思いながらは使いの品を渡そうと土方の居室へと向かった。

「副長、遅くなって申し訳ありません。ただ今戻りました」
 そう言って障子をあけたところ、そこに土方の姿は無かった。
 何処に行ったのか、とが辺りを見回していると、剣山の様な頭をした青年(彼は山崎烝というらしい)が、土方はついさっき道場へ向かったことを教えてくれた。

 山崎の言葉に従って道場に行くと、やはりザワザワと男達の声が騒がしい。その喧噪の中心にいるのは、沖田総司と十二かそこらに見える少年だった。
 二人は仕合っていたようで、少年の防具にはヒビが入り、額からも血を流している。実力差は歴然であるはずなのに、沖田は手加減をしなかったのだろうか。
 もう勝負はついたのかと思えば、そうではないらしい。鋭い殺気を放ちながら、沖田が少年に向かって竹刀を振り上げる。
 取り敢えず騒ぎが収まるまで傍観していよう────
 しかし渦中に割り入ろうとする男の姿を認めると同時に、の足は動き出していた。

……あ、……さん……?」
 長い静寂の後、沖田の掠れた声が空気を揺らす。
 は少年を庇った土方の前に立ち、沖田が手加減なく振り下ろした竹刀をその腕で受け止めたのだ。
「おい、比古……何のマネだ?」
「ええと、一応、私は土方さんの小姓ですから。沖田さんの“凶刃”からお守りしようと思いまして」
 土方の声音は怒気を孕んでいた。は当然だと思って行動したのだが、何か見当違いなことをしてしまったのだろうか。
 周囲を囲む隊士達も、押し黙ったままの一挙手一投足を見ているようだった。

「……総司、何度目だ?」
「────……ゴ……ゴメンなさい、土方さんッ! さんもすみませんッ!大丈夫ですか、腕!?」
 土方の言葉でようやく沖田は我に返ったようだった。
 いつもの調子に戻った沖田がに駆け寄っていった所で、緊張していた空気がようやく弛緩する。
「おい、お前大丈夫なのか!?」
 と、どやどやと群がってきたのは、確か十番隊隊長の原田左之助だっただろうか。続いて周囲の隊士達もの周りを取り囲む。
 原田がの袖をまくったが、そこには傷跡一つない。


「おいおい総司の剣を受けて無傷って……お前の腕は鋼鉄で出来てんのか!?」
「いや、そんな訳ないじゃないですか。往なしただけですよ。こう……クイっと」
 木刀だったらまた違っただろうが、今回は相手が竹刀だった。事もなげに腕を振って見せるに、隊士たちは『すげぇ……』と感嘆の声を口ぐちに漏らす。
 その中でも取り分け感心していたのが、局長である近藤だったようだ。
「素晴らしい、素晴らしいぞ!! 君!!! その細腕で、仕える人間を命懸けて守るその姿!! 男たる者、やはりこうでなければ……!!」
「はぁ……」
 近藤の勢いに押され、は間の抜けた返事を返す。
 としては特に命を懸けた覚えはない。それに近藤には女だと言っていないため仕方のないことではあったが、女であるが男の鏡と称賛されるのは何とも居心地の悪いものだ。

「そして敵に背を向けることなく、最後の一歩まで立ち向かう!! 鉄之助君、君は幼いながら立派な武士だ!」
 近藤は感涙に咽びながらそう力説する。
「新選組には君達のような男が必要だ!」
「じゃあ俺、採用……?」
 入隊をほのめかせた近藤に、鉄之助という名の少年は目を輝かせる。
「……それは出来ねえな。“童”を雇うほど人手に困っちゃいねえだろ。比古も、俺の小姓のままだ」
 しかし鉄之助の期待を、土方はバッサリと切り捨てた。
「なんで……! 俺、強くなります! 隊士になって、もっと強く!」
 なおも少年は食い下がろうとしたが、土方は耳を貸すことなく道場を去っていく。
 はお使いの物を渡していなかった事を思いだし、そのまま土方の後を追っていった。


────残された者達の心中は様々であった。そしてこの騒動をきっかけに、いつの間にか土方の小姓となっていたの存在が、良くも悪くも新選組全体に知れ渡ってしまったのだった。