あの波乱尽くしの歓迎会から一夜が過ぎた。
 は道場で死体の山(もちろん木刀であるから死んではいない)を作り上げていた。
 沖田総司の凶剣を片腕で止めたを見た者達が次々と教えを乞うてきたのだ。彼らとしてはと少しでも関わりを持ちたかったのであろうが、 平隊士である彼らがに一撃でも与えられる事など出来るはずもなく、 逆に一撃で気絶させられた隊士達の山が、道場の隅に築かれる事となったのである。


少年の



「お、。朝から精が出るじゃねえか!!」
 道場にいた隊士のほぼ全員を倒し、挑む者も少なくなってきた頃、やけに楽しそうな様子の原田左之助と永倉新八が道場へとやってきた。
「原田さん、永倉さんお疲れ様です。何かご用ですか?」
クンに紹介したい子が居るんだよネー」
 そう言うなり原田と永倉は、渋るの両脇を抱えて引き摺るように連行する。
 連れられながら何事かと聞けば、先日の鉄砲玉のような少年の入隊が許されたらしい。
 だからと言って何故自分がわざわざその少年に会わなければならないのか。としては全く気乗りしなかったが、上司である二人の言葉を断ることもできなかった。

「おっはよーう、鉄砲少年!!あいさつに来てやったゼーーーッッ!!」
 障子を蹴り倒す勢いで永倉達はある部屋へと押し入った。
 案の定、突撃を受けた少年は呆気に取られている。
 茫然とする少年をよそに、永倉達は勢いそのまま自己紹介をしては、少年への激励まで済ませていた。
 そんな永倉達を後ろで眺めながら、はこれなら自分は必要なかっただろうに……とため息を吐く。

 しかしそれを耳聡く永倉が拾ったらしい。の肩をガシっと掴むと少年の前へと突き出したのだった。
「おっと! 忘れてたけどこいつは比古クン! お前と同じ“お小姓さん”だから仲良くしろよナ!!」
「よ、よろしくお願いします……」
 原田達に促されては頭を下げる。
「お、おう……」
 が、 市村鉄之助というその少年は、あからさまに不服な顔をしておざなりに軽く頭を揺らしただけだった。
 どうやら隊士ではなく小姓に任ぜられた事が不満らしい。本当に分かりやすい少年だ。
 純粋さは好ましいものだが、このようにすぐに顔に出るのでは小姓には向いていないのではなかろうか。────しかし一度土方が決めたものが早々覆ることもなく、結局、小姓の仕事はが教えることとなった。


***


 原田達が鉄之助の兄である市村辰之助を連行した後、は屯所内の案内に鉄之助と連れ立っていた。
「────さて、鉄之助君はお茶を淹れたことはありますか?」
 一通り屯所内を全て紹介したところで、は気だるげに後ろを歩く鉄之助を振り返った。
 “お茶”と聞いて鉄之助の口がへの字に曲がる。
「んなもんあるわけ無ェだろ! なー、んな事より俺に剣術教えてくれよ!! 沖田さんの竹刀を止めたって事は、あんたスゲー強いんだろ!?」
 鉄之助はの胸倉を掴む勢いで詰め寄ってきた。その必死の形相に二、三歩後ずさりながら、はううんと唸った。
 この少年に剣を教える気は毛頭なかった。
 飛天三剣流は冷静に戦況を見分ける“先読み”の力が基礎となる。鉄之助のような直情型の人間には向いていないだろう。
「そうですねえ……。今から淹れ方を教えますから、副長に美味しいお茶をきちんとお出しする事が出来たら、考えましょう」


 そう言うと鉄之助は明らかに不満そうな顔をしたが、 渋々お茶を出すためにと共に厨へと向かう。
「んなもん楽勝だぜ!」
 高らかに宣言してずかずかと先を歩く鉄之助の後を追いながら、はほほえましさに頬を緩めた。

「それにしても鉄之助君は凄いですね。 その年で新撰組に入隊しようとするなんて」
 厨でお茶の講義をしながら、はぽつりと呟いた。幼かった弟も死なず成長していれば、ちょうど鉄之助ぐらいの年頃だろうか────
「な、それを言うならお前もだろ!! どー見たって同い年ぐらいじゃねーか!!」
 それを聞いては首を傾げた。は今年で十七であり、対して鉄之助は上に見積もってもせいぜい十二、三歳といったところだ。
「お、れ、は、十、五、だっ!!」
 そんなの思考を読み取ったのか、鉄之助は凄まじい勢いで噛み付いてきた。
 信じられない、とは目を丸くする。しかし鉄之助の子供っぽい行動からすれば、当分“お子さま扱い”を改める必要はなさそうだと苦笑を漏らした。

 色々と横道に逸れたが、鉄之助が淹れたお茶は思いの外美味しかった。
 その事をが褒めると鉄之助は気を良くしたのか、いち早く副長に飲ませようと盆を持って駈け出していく。
 それを見て、は大体の未来が想像できた。ふう、と一つため息を吐いて、雑巾を片手に鉄之助の後を追っていった。

────案の定、というべきか。鉄之助は土方の部屋の前で派手にすっころび、せっかく淹れたお茶を盛大にぶちまけていた。
 目の前の惨状に土方は呆気に取られ、沖田は背を向けて笑いを押し殺している。は小さくため息を吐きながら、用意していた雑巾で廊下のお茶をふき拭き取っていく。
「失礼致しました。すぐに入れなおして参ります」
 は手早く片付けを済ませると、膨れっ面で動こうとしない鉄之助を引っ張ってその場を辞した。

 鉄之助を連れて厨房に戻ったものの、鉄之助はどうしてもお茶だしの仕事に納得がいかないらしい。ぶつぶつと文句を言いながら“雑巾玉露”を生み出そうとしている。
「……俺は、強くなる為に新撰組に入ったのに。それなのに、こんな……こんな……」
 雑巾を絞る鉄之助の手は、悔しさからか小刻みに震えていた。は淡々と新しい湯を沸かしながら、その背中に問いかけた。
「鉄之助君は、何故強くなりたいんですか」
 鉄之助が振り返る。
 を見つめた大きな瞳に、暗い影がよぎる。それが意味するものを察したは、手を止めて鉄之助に向き合った。
「仇討ちですか」
「……悪いかよ」
「いえ。でもお勧めはしません。仇討ちなんてしても、誰も幸せになんてなりませんから」
 そう言っては涙が滲むのを堪えて微笑んだ。
 は仇討ちの虚しさを知っている。それをこの少年には味わわせたくはなかった。