あれほど声をあげて泣いたのは、物心ついてから二度目だったと思う。
 一度目は、もう随分前の話だ。

 私の父、比古清十郎は、戦国の世に広く名を知られた武将であった。父が振るう飛天三剣流は、世に比類無き最強の剣術。
 しかし一振りで三人を倒すと謳われた父の剣も、 織田信長の数十倍に及ぶ軍勢には敵わなかった。
 私が生まれ、家臣や友と過ごしてきた城は炎に包まれあっけなく落城。父は獅子奮迅の戦いぶりであったが、最後は雑兵の放った毒矢に倒れた。母は幼い私の弟を連れ、燃え盛る城の中で自害した。

 私は女子だからと、母に逃がされた。
 燃える城を見ながら、私は泣きわめき残ることを懇願したが、最後には女中達に無理やり連れられ、同盟関係にあった隣国を目指すこととなった。
 しかし隣国の地を踏むことは無く、数日後には織田の残党狩りに捕まった。
 そして清十郎の子であるとバレた私は、荒縄をかけられ、今にも首を切られんという状態で信長の前へと引き立てられたのだった。


心の底に燃える



 信長はの姿に嗤笑を浮かべた。
「面を上げろ」
 顔を上げたは、あらん限りの眼力を持って信長を睨みつけた。不敬を問われたとて、どうせ明日には首を狩られる身なのだから関係ない。
 そんなの気持ちが透けて見えたのか、信長は口角を上げニヤリと笑った。
「フン、あの比古清十郎の娘というからどんな厳つい女かと思うたが…… 存外、よい器量を持っているではないか」
 そう言って信長は草履も履かぬまま地に足をつけ、にゆっくりと近づいてきた。
 はここで臆しては負けだと睨み続ける。
 信長は何も言わず、傍に控える小姓から刀を受け取った。抜かれた刃がに向けられる。
 ああ、やはり殺されるのだ────とは瞳を閉じた。
「────選べ。儂の妾となるか、儂の部下として働くか」
 刀の腹を顎に当てられ、無理矢理顔を上向かせられた。
 再び見た信長の瞳はひどく冷え切っている。が断ればきっと躊躇いなくこの首を斬るのだろう。
「なれば、この場で私の首を刎ねてくださいませ」
 は信長を睨むのではなく、ただ静かに見返した。
────ここで父上達の後を追えるなら、それも良い。
 信長はそれを見て殊更ニヤリと笑った。
 傍に控えていた男達に目くばせをする。それに応えた男達は、すぐに縄にかけられた女達を連れて戻ってきた。
 は驚愕の表情で女達を見つめた。彼女らは、と共に城を落ち延びてきた女中達だったのだ。
「ここで死ぬと申すなら、その女達も道連れだ。やれ」
 信長の合図で、女達一人一人の首めがけて刀が振り上げられた。

「────お止めくださいませ!!!」
 堪えきれず叫んだの声は悲痛に満ちていた。
 女達は「姫様……」と涙を流し続ける。
「分かりました。今後、信長様の下で二心なく働く事をお誓い致します。……ですから、彼女達の身の安全をお約束くださいませ……」
「ふむ、儂の妾となるは嫌か」
「私は詩歌も茶も舞も出来ぬつまらぬ女にございます。……ですが戦場では、必ず先陣を切り信長様のお役に立つことを約束致します!」
────キ・ボーンいいねえ
 そう言って信長はニヤリと笑った。
 一瞬、は何を言ったのか聞き取れず首をかしげたが、信長の表情から願いが聞き届けられたのだと判断し、小さく息を吐いた。

「よし、お前は明日より小姓として出仕せよ。──乱!この者をしばらくお前に預ける!」
 近習にそれだけ告げると、早々に信長は去って行く。
 思いもよらない展開にが呆然としていると、信長の傍に控えていた男の一人がやってきた。
「大丈夫ですか。わたくし、上様の小姓の森乱丸と申します」
 そう言いながら、乱丸という男はにかけられていた縄をほどいていく。
 一方での女中達は、縄を掛けられたまま連れられていってしまう。
「あ、あの……彼女達はどうなるのです?」
「心配ございません、彼女達も城仕えの女中として雇うようにとの上様の仰せにございます」
「そうですか……良かった…ありがとうございます」
 は思わず笑みを零した。
 緊張が解けたのか、身体の至る所が痛みと疲れを主張し始める。渋面したの顔を、乱丸が気遣わし気に覗き込んできた。
「貴方は私の屋敷に住むことになりましたので、これから向かいますが……ご自分で歩けますか?」
「え、ええ。もちろん……」
 そう言ってはすぐに立ち上がろうとしたが、 体が言う事を聞かず上手く足に力が入らない。
 思えば捕えられてから数日、ずっと縛られたまま殆ど身動きをしてこなかったのだ。もしかしたら筋が固まってしまったのかもしれない。
 は恥ずかしさで真っ赤に顔を染めた。
「はは、それでは城を出られませんね。掴まってください。私がおぶっていきますよ」
 そう言って乱丸は背中を向ける。
 つい先ほどまで敵だった女に背を見せるのは不用心ではないかとも思ったが、は素直に従った。
 まともに立ち上がれないこの無様な状態で、信長の城に居続ける方が嫌だったのだ。
「……かたじけない」
 聞こえないぐらいの小さな声では礼を言うと、恐る恐る乱丸の背にその体を預けた。