天下が乱れ、各地の有力者が覇権を掛けて争っていた頃のお話にございます。
 ある国に、それはそれは強い“もののふ”が居りました。
 その“もののふ”は鬼のように強く、どんな敵が攻めてこようとも、必ず城下は平和に守られていたのです。“もののふ”はいつも鬼の形相で剣を振るっておりましたが、その心根はとても優しゅうございました。“もののふ”は敵方の孤児や未亡人を哀れに想い、殿さまに貰った大きな屋敷に住まわせ、世話をしておりました。
 敵国はその“もののふ”の強さを恐れ、『鬼』と呼びました。
 国の民は“もののふ”の強さと優しさを敬い、『鬼さま』と呼んでおりました。

 ある日のことに御座います。
 その日、“もののふ”は城に詰めておりました。殿さまを暗殺する企てがあると、知らせを受けていたためにございます。
 丑三つ時、僅かな物音を怪しんだ“もののふ”は刀を手に取り庭に出ました。その時、暗闇の中、どこからともなく苦無が飛んできたそうにございます。ただ人であれば、そこで殺されていたことでしょう。しかし日ノ本一のその強者は、眼前に迫る苦無を咄嗟に手で弾き落したそうにございます。
 しかしただの掠り傷であった筈なのに、傷痕から走る痛みは徐々に強くなっていきました。“もののふ”は立っているのもやっとな痛みの中、辛うじて闇に潜む忍達を葬りました。
 けれどとうとう、“もののふ”は頭を食い破るような痛みに耐えきれなくなり、そのまま気を失ってしまったのです。“もののふ”は城下の自宅に運び込まれ、彼が助けた孤児や未亡人達がかいがいしく看病したそうにございます。
 翌朝、“もののふ”の館は不気味なほどの静けさに満ちておりました。不審に思った隣人が訪ねたところ、そこにあったのは────『鬼が殺された跡』にございました。
────ある地の伝承より



殺し




「そいつは女子供を皆殺しにした後、自分で腹切って死んだらしいで。そんで攻守の要を失ったその国は、あっさり亡びたそうや。……まあ、御伽噺みたいなもんや。俺も話半分にしか聞いとらんかった。けど、こいつの様子からするにホンマに『鬼殺し』はあったゆう訳やな」
「それは分かったけど、じゃあどうすりゃ良いんだよ!」
 冷静に事態を分析する丞に鉄之助は焦れた。今こうしている間にも、は鉄之助達の手から逃げ出して自らを傷つけようとしているのだから。
「取り合えずこの錯乱を押さえることはできるやろうが……、毒を仕込んだあのくノ一から解毒剤を奪わんと、根本的な解決にはならんやろうな」
 最終的には死ぬことになる、と淡々と告げられた言葉に鉄之助の背中が泡立つ。
が死ぬ……?」
 反芻してみても現実感は湧いてこず、そのような未来は到底想像ができなかった。
「……次のことは追々考えましょう。山崎さん。取り敢えず、君を落ち着かせる薬を用意してもらえませんか?」
「分かりました」
────ホンマはこういうの、姉上の方が得意やったんやけどな。
 沖田に促された丞は、歩が死んだことを噛み締めるように小さく呟くと、歩の居室へと足早に去っていった。


***


「……随分とあっけなく死ぬものですね」
 の目の前には、つい先刻までを『臆病者』と謗っていた男の骸が転がっていた。
「それが戦というものだ。ま、女子には分からぬであろうが」
「戦とて……此処までする必要が、果たしてあったのでしょうか」
 この男だけではない。の眼前には数えきれないほどの骸があった。敵だけでなく、味方の兵も。館に身を寄せていた女子供の骸もあった。
 辺りには息をするのも苦しくなる程の死臭が立ち込めていた。
「“草木も残さぬように”との上様の命だ。此奴らは幾度となく一揆を起こし、上様の天下統一の妨げになっておった。当然の報いよ」
「なれど、女子供まで殺すことは……」
「女どもは子を産む。子はいずれ兵士になる。農民とて武器を取れば兵になりうるのだ。さすれば又、同じことの繰り返しだ」
 はそれ以上何も言うことができず、再び目の前の男の骸を見下ろした。
 臆病者────この男が言った通りだった。
 は戦場で誰一人殺すことができず、ただ立ち尽くすことしかできなかったのだ。

「貴殿のような覚悟の無い半端者は戦場には不要だ。上様のお小姓か何か知らんが、さっさと城に戻られるがよい」
 の脳裏に女房達の顔がよぎった。がしくじれば、彼女達も殺されるのだ。
「待ってください……! 覚悟は、あります──「殿! まだ残党が残っておりました。ご指示を!」
 焦った様子で兵が達の間に割り入ってきた。報告を聞いた男はしばらく思案するように口ひげを撫でた後、を冷たく見下ろした。
「────貴殿に任せよう。しかし、儂の大切な兵を半端者のせいで失わせるわけにはいかん。“お一人で”その覚悟とやら、示されるがよかろう」
 は震える掌を強く握りしめ、男を睨み返した。
「……分かりました。我が剣の力、お見せしましょう」

────殺す。
 いやだ。
────殺す。
 殺したくない。
────皆殺しだ。
 誰か私を、殺してくれ。

 男も女も、老人も赤子も、動く者は全て斬り捨てた。
 父から受け継いだ刀は、幾人もの肉を斬り、骨を断っても鈍ることはなく、変わらぬ鋭さで命を刈り取り続けた。
 刀を振り下ろすたび、の心は錆び付きこぼれ落ちていったけれど。


***


 しばらくして、丞が鉄之助たちの下へと戻ってきた。
 丞は手に持った椀の中身を、暴れるの口に押し込んだ。
「……これで、しばらくは持つでしょう」
 鉄之助を引き剥がそうとしていたの力が、徐々に抜けていく。焦点が合わないまま見開かれていた瞳も閉じられ、息も穏やかになっていった。
「ありがとうございました。山崎さん、」
「やーよかった、よかった。ところで、総司に聞きたいんだけどさ」
 丞に礼を言う沖田にかぶせるように、永倉が疑念を孕んだ声音で沖田に問いかける。瞬時に走った緊張感に、鉄之助はごくりと唾を飲み込んだ。

「……なあ、八っあん。こいつ、女だったんだな!」
 原田は明け透けにのはだけた胸元を見ていた。その視線に気が付いたのか、沖田が「原田さん!」と語気を強めながら、すぐさまの襟元を直すやその身体を布団の中へと収めた。
────緊張感の欠片もない。鉄之助は一気に脱力してしまった。
「左之……それ、今言う必要あったか?」
「いや、お前らだって思ってただろ? なるほど、あのサラシはあれを隠すためだったんだな!」
 意気揚々と語る原田に同意する人間は誰もいない。
「ええと、それで……永倉さん。私に聞きたいことって何でしょう?」
「この流れで聞くのもなー」
 ううん、と唸って永倉はため息を吐いた。
「……ま、いいか。総司、お前はコイツが女だと知っていた、ってことで良いんだね?」
「はい。彼女の本当の名は“”です」
 永倉から鋭い追及の眼差しを向けられているにも拘わらず、沖田の表情は穏やかだ。
「ああ、お前がよく呼んでいた」と永倉は独り言のように呟いた。
さんは、私が新選組に招き入れました。彼女は突然現れたんです……私の目の前で、湧いて出てきたように」
 沖田は当時を懐かしむように庭先を眺めた。──本来の名はか──が突然そこに現れたのだという。
「それで?」と永倉は沖田に続きを促した。
さんは……この世界ではない、どこか遠い所からやって来たみたいです」
 鉄之助は、理解の範疇を超えた話に「は?」と間抜けな声を漏らした。
 それは他の者も同じだったようで、永倉は怪訝そうに片眉を吊り上げ、原田はぽかんと口を開け、丞も無表情を繕ってはいるが狐みたいなつり目が丸くなっていた。

「普通、信じられませんよね。でも……なんだか放っておけなかったんです。昔の自分に、ちょっと似ているような気もして。“この世界で生きる意味なんかない”って、今にも死んでしまいそうな感じで。……だから、私の大切な人達のこと、もっと知ってもらいたくなりました。こんなに楽しいんだって、こんなに面白いんだって。この世界で生きていく意味を、見つけてほしかった」
 沖田は訥々と語った。
 いつもどおりの穏やかな表情ではあったが、その声音は何故かとても切なくて、鉄之助はぎゅうと胸が締め付けられるような思いがした。