ばれてしまった。
 もう少し様子を見てからと思っていたが、仕方が無い────はふわりと屋根から降りる。
「な、何だ。お前は!?」
 もう一人の男はの存在に気が付いていなかったようだ。突然降って湧いたように現れたに驚愕の声を上げる。まあいい。この勘の鈍さや男の身のこなしからして、雑魚だ。気に掛ける必要はない。はちらりと男を見た後に人斬りに向き直った。
「突然の無礼をお許し願いたい。貴方と一度、話をしたかったんだ」
 人斬りは鍔に手をかけ、いつでも抜ける状態で構える。喉の奥がひりひりと焼け付くような殺気が周囲に満ちた。
「何のつもりだ」
 射殺さんばかりに睨んでくる人斬りに苦笑を返し、は傍に転がる死体達を見る。飛天三剣流の斬り口だ。やはり、永倉の話は本当だったのだ────
「貴方の太刀筋は私が知るものによく似ている」


錯する想い



 緋村剣心──最近では人斬り抜刀斎の名で通っているが──がその男の存在に気が付いたのは全くの偶然だった。屋根から降りてきた黒猫に驚き、改めて屋根の上に注意を向けてようやくそこに男が潜んでいたことを知った。
 人斬りを始めてから、寝ていても僅かな物音で目を覚ます程に人の気配には敏感になっている。にも拘わらず剣心はその男に気が付かなかった。────かなりの手練れだ。そう直感して剣心はすぐさま臨戦態勢を取った。
「貴方の太刀筋は私が知るものによく似ている」
 男は剣心が暗殺した者達の骸をちらりと見てそう言った。剣心が放つ殺気に怯む様子もなく、むしろ興奮の色を浮かべた瞳で剣心を見つめてくる。
 眼前に立つ男の意図が読めず、刀を握る力が強まる。
────“人斬り抜刀斎”は影の存在。まだ世に知られる訳にはいかない。
 暗殺の目撃者は抹殺。やるべき事は分かっている。それでも剣心は逡巡した。己の汚れた血刀が、誰もが安心して暮らせる新時代の礎になるのならば────そう決意して維新の渦に身を投じたのだ。
「……飛天、三剣流」
 男の発言に、剣心は思わず目を見開いた。飛天御剣流は幻の流派として、中にはその名を知る者もいるだろうが。この男は、転がる骸の斬り口を一見しただけで飛天御剣流だと気がついたというのだろうか。
「お前は何者だ。何故、それを知っている」
「貴方のことを探るつもりはない。ただ、貴方に一つ聞きたいことがある」
「……?」
「貴方は、その剣を誰から教わったんだ?」
 不思議と男から敵意は感じない。幕府側の人間のようにも思えない。剣心が怪訝な表情を見せると、男は縋るような眼をして質問を重ねてくる。
「ただ確認したいだけだ。貴方の師匠は“比古清十郎”という名か?」
「お前……」
「緋村! 何をぐずぐずしているんだ。ここまで知られている以上捨て置けるわけがない。早く始末しろ!」
 後ろで控えていた検分役の男が剣心を急かす。
────そうだ。“大義”を見失うな。この男は明らかに一般人ではない。殺せ。殺せ。殺せ。
「うおおおおおお!!」
 葛藤を振り払う様に剣心は叫んだ。
 それに呼応してすぐさま男も抜刀術の構えを取る。勝負は神速の抜刀術。それはまるで────
「っ……!」
────まるで鏡合わせの様だった。全く同じ構えから同じ速度で放たれた二人の技は、互いの左腕を掠った後に空を斬る。
「飛天御剣流……!?」
 衝撃に驚愕の声が漏れた。
 切り裂かれた着物から覗く男の腕は、まるで女のように白い。それが男の浮世離れした雰囲気を助長する。
 男は何故か一瞬、泣きそうな表情を見せた。ゆらゆらと揺れる瞳が剣心を見つめる。
「おい、お前はいったい……!」
 剣心の問いかけに背を向けて、突然男は走り始めた。
 追いかけようとした剣心は、背後から近づく複数人の足音に気づき足を止めた。
「おき──隊長──の騒ぎは──か──」
「此方で──! もしか──例の────」
「……緋村、まずい。新選組の連中かもしれん」
 検分役の言う通り、騒ぎを聞きつけて新選組がやってきた可能性が高かった。ここであの男を深追いすれば、奴らにも見つかる恐れがある。
「ここは退きましょう。今奴らの相手をするのは得策ではない」
 剣心の言葉に検分役が頷くや、二人は息を殺しつつ小路の隙間を縫いながらその場を離れた。
────あの男に付けられた傷は数日もすれば塞がるだろう。一方で剣心の脳裏には、男の存在が深く刻みつけられていた。


***


 屯所に戻ってきたは、人知れず沖田の居室へと入った。沖田の隊はまだ巡回から戻ってきていない。寝床にしている押し入れの襖を引き、上段に敷かれた布団の中に潜り込んだ。
 何も考えられない。考えたくない。
 緊張を解いたの身体は気怠く重い。襲い来る眠気に身を任せれば、泥に沈み込むように眠りに落ちた。

。本当に、飛天の剣を継ぐ覚悟があるのか』
『勿論です、父上。その為に幼き頃から稽古を重ねてきたのですから』
 齢十を過ぎた頃、は父から話があると言われて呼び出された。
『飛天三剣流を継げば、日ノ本一の力を手に入れるだろう。だが代わりにお前は、女子としての幸せを捨ててゆく事になるぞ』
『……は身体も弱い。この頃ようやく床を離れられるようになったぐらいです。彼に厳しい修行をさせるのは酷というもの。飛天三剣流は、私が継ぎます』
 城の端にあるこの物見櫓からは城下の街を一望することができる。誰よりも大きい父の背中を見上げながら、は飛天三剣流の修行を父に願い出た。
『飛天三剣流は私の代で終わりにしても良いのだ。強すぎる力は、新たな争いを生み出す。』
『何かを守る為には力が必要です』
 背中から父の表情を読み取る事はできない。それでも、父がに飛天三剣流の稽古をつける事に難色を示しているのは分かった。
『飛天の力を身に付ければ、お前は必ず戦の矢面に引きずり出されることになる。それでもいいのか』
『構いません。私は、大切な人々を守る盾になりたい』
『……那津に怒られるな』
 そう言って父は一つため息を吐く。確かに母がこの事を聞けばきっと烈火の如く怒るのだろう。最初に武術を習い始めた時も大反対していて、“護身の為”ということで何とか説き伏せたぐらいだったのだから。
 振り返った父の顔には苦笑が浮かんでいる。強く頭を撫でられ、結われた髪が崩れてしまった。


***


 寝返りを打とうと身体を捻ったところでの左腕に引き攣るような痛みが走る。覚醒した頭で振り返れば、人斬りと対峙し僅かではあるが傷を負ったことを思い出した。
「この中では、やりづらいか」
 押し入れの襖を僅かに開けて外の様子を垣間見れば、まだ辺りは暗く夜は明けていないようだった。沖田もまだ夜の巡回から戻っていない。ならば、とは押し入れからそろりと降りる。
 部屋に明りを灯し、着物をはだけて傷口を照らした。予想通り、傷は深くはない。これならば小姓の仕事に支障はないだろうし、大した手当も必要ない、とは安堵する。
 押し入れからさらしを取り出し、傷口の上に巻いていく。しかし片腕しか使えないためか要領を得ず、何度巻いても途中で解けてしまった。
 大した傷じゃないし、まあ良いか。
 は小さくため息を吐いて、途中まで巻いていたさらしを外した。
 外に出て月の位置を確認する。朝餉の支度までにはもうひと眠りできるだろうと当たりをつけて、は再び押し入れの布団の中に潜り込んだ。