「確かにキミは女の子だし、女郎と寝る意味はないよね」


う心



 永倉の方を振り返った。口元は笑っているが、目には油断ならぬ光を湛えている。
「え……と、あ。ボケですか? すみません、ツッコミが遅れて」
「君が歓迎会で上半身裸になった時に気が付いたんだ。左之助は馬鹿だからキミの言い訳を信じちゃったみたいだけどさ。ねえ、どうしてキミは男のフリをして新選組にいるの?」
────誤魔化しは効かないようだ。
 織田軍では当初からが比古清十郎の娘だということは周知されていた。だから男の姿こそしていたものの、とりわけ意識して“男を演じる”ことはしていなかった。
 新選組に身を寄せることになり、沖田達に言われて男のふりをし始めたはいいが、いわば初めての見様見真似の男装だ。自分でも気づかぬうちにボロが出ていたのかもしれない。他の隊士達はそもそも新選組に女が潜り込むという可能性を一切考えていない。
 の腕っぷしの強さも『女であるはずがない』という思い込みに一役買ったのだろう。だが、こうして永倉のように疑って観察されれば容易に露見してしまう。
────潮時か。
「すみません、皆さんを騙すような真似をして。訳あって新撰組に身を置かせてもらっているんです。男装は、便宜上といいますか」
 心臓がばくばくと高鳴っていて、柄にもなく緊張しているのだと思い知らされる。永倉から次に紡がれる言葉を、は恐れていた。
 こうなってみて初めて気が付く。は“新選組”というこの居場所を気に入っていたのだ。今こうして、追い出されることを恐れるぐらいには。

「ふーん。ま、キミが本当は女の子かとか、男の子かとか別にどうだっていいんだよ。ここ暫くキミの行動を観察してたけど特段怪しいところはなかったしね」
 軽い調子でそう言って、永倉は息を吐いた。
「キミは知ってる? 今、京で恐れられている人斬りのこと」
 永倉の質問の意図が掴めなかったが、思い当たる節の無いは素直に首を横に振った。
「飛び降りる力を使って脳天へ深い一撃を与える技、飛び上がる勢いで下から相手の顎を斬り付ける技、相手の攻撃をかわした勢いのまま背後に回り込み背中を斬る技……なんのことだか分かるよね?」
 永倉が淡々と語る技の内容に、は思わず息を飲んだ。
────飛天三剣流の龍槌閃、龍翔閃、龍巻閃
 すべて、が父である比古清十郎から教わった技だ。
「キミが隊士達に勝負を挑まれた時、大抵は基本に則った一般的な剣術であっさりと倒していたけど。無謀な勝負を挑んでくる奴らに苛立ったのか最後の方にはこの技を使って完膚なきまでに打ちのめしていたよね」
 息を飲んで俯くの表情を、永倉は探るような瞳で覗き見てくる。
「あいつら、木刀でやられただけなのに一週間くらい起き上がれなかったんだよ?」
 永倉はケラケラと笑い声を立ててなおも続ける。
「おんなじ技をさー、さっき言った今話題の人斬りサンが使っているみたいなんだよね。その人斬りに殺された死体の傷と、キミにやられた隊士達のあざの跡が、同じ人間がやったみたいにソックリだった」
 思いもしなかった永倉の言葉に、は驚愕の表情で顔を上げた。
「あれ?キミは本当に知らなかったのかな。見たことのない流派だし、てっきりその人斬りはキミの知り合いだと思ったんだけど」
「いえ……確かにその人斬りの使う技は私の使う流派と似ているのかもしれませんが……」
 そこまで言っては語尾を濁らせた。
 今、京の街で暗躍しているというその人斬りに全く身に覚えはない。そもそも戦国の世から来たに、この時代に知り合いが居るわけがないのだから。
 しかし無関係というには、永倉が語るその人斬りの特徴はあまりにのものと似通っていた。
「実のところ、誰もその人斬りの姿を見たことがないんだよね。だってその人斬りと出くわした人間はみんな殺されちゃってるからサ」
 故に、永倉は人斬りに殺られたと思われる死体からその特徴を割り出したに過ぎないという。
「ま、いいや。なーんかキミ、密偵には向いてなさそうだよねぇ。そうやってすぐに顔に出るし」
 言外に“単純馬鹿”だと言われた気がして顔をしかめるを見て、永倉はケラケラと笑う。
「まったく土方サン達も何考えてんだろうねぇ。こんな明らかに面倒くさそうな奴を抱え込むなんて」
 独り言のように呟くと、永倉は徐に厨房を出ていこうとする。
「今すぐにキミの秘密を皆へ吹聴するつもりはないけどサ。もし、キミが新選組を害する存在だと分かったら……」
 それ以上永倉は言わなかったが、その先に続く言葉はにも察しがついた。

 永倉が去りしんと静まり返った厨房の中で、は自身の体を抱えるように蹲った。


***


 夕飯の片づけを終えたは、沖田の居室へと戻ってきた。沖田の隊は夜の巡回をしているのだろう────主の居ない部屋はどこか寒々しい空気に満ちている。
────随分と、彼に絆されていたんだな。
 永倉に突き付けられた現実を前にぐらぐらと揺れる心の支えを求めて、無意識の内には沖田の姿を探していたのだ。屯所内に沖田が居ないことを知った時に去来した感情の意味を、は測り兼ねて頭を振る。
 半ば無理矢理この部屋に押しかけて以来、の寝床となっている押し入れの襖を開ける。畳んだ布団の奥から一振りの刀を取り出した。
 屯所を出る際すれ違った隊士に怪訝な顔をされたが、「副長から急な使いを頼まれたんだ」と言えば、“横暴な副長にこき使われる哀れな小姓”に向けた労いの表情に変わった。
「気をつけろよ、最近は物騒な人斬りもいるらしいからな」
 その隊士の忠告を聞いては薄く笑った。
 何故ならは、まさにその“人斬り”に会いに行こうとしていたのだから。


***


 屯所を出てしばらくは田畑が続く。提灯があっても心許ないぐらいの暗闇が広がるが、夜目の利くは危なげなく京の街へと足を進めた。
 夜の京の街は意外にも騒がしい。この中からたった一人の人間を探し出すことができるだろうか────その姿かたちすら判然としない、かの人斬りを。
 永倉の話していた人斬りは長州派の攘夷浪士に与しているらしい。であれば、長州藩邸を張るのが良いだろうか。しかし人斬りを藩邸の中で飼うのは避けるようにも思う。
「会津藩本陣の近くであれば何か分かるだろうか」
 その人斬りは長州派に邪魔な人物を殺して回っているというのだから、京都守護職である会津もやはりその標的の一つだろう。会津の重鎮を把握することができれば、それを狙う人斬りを見つけることができるかもしれない。────博打に近いという自覚もあったが、それでも居ても立っても居られなかった。
 街まで出るとまばらではあるが出歩く者達もいる。人目を嫌い屋根の上を神速で駆ければ、半刻もしないうちに黒谷の金戒光明寺についた。
 はそのまま手ごろな屋根の上に身を潜め、通りの様子を俯瞰した。
 しばらくして、僅かに離れた通りから酒気の滲んだ男達の声が聞こえてきた。は静かに屋根を渡り男達へと近づいていく。気配を悟られぬよう一気に距離を縮めることができないのがもどかしい。
────突然、男達の陽気な話声がぴたりと止んだ。
「お、お前は────」
 男達の戸惑う声、金属同士がぶつかり合う音、肉を断つ独特のくぐもった音、絶命の叫び声────そして、静寂。
 がようやくその現場を見下ろせる位置までやってきた時には、すでに全てが終わっていた。男達は地に伏し、落ちた提灯が石畳を染める大量の血をぼんやりと照らしている。
────血のような赤い髪。
「流石だな、緋村。今回も返り血一つ浴びちゃいない」
「……俺の仕事は終わりました。後は頼みます」
『緋村』と呼ばれたその人斬りは、およそ暗殺者には似つかわしくない、赤い髪が印象的な少年だった。頬には一筋の刀傷が生々しく残っている。歳はよりも幾らか若いように見えた。とはいえ鉄之助の例もあるのだから、見た目だけでは判断できない。
 人斬りは腕前を誇るでもなく感情の籠らない声音で淡々と話す。今にもこの場を去ろうとする彼を追うべきだろうか────
 逡巡したの横を一匹の黒猫がするりと通る。
 黒猫は場違いな明るさでニャアと一つ鳴くと、血で赤く染まった地上へとひょいと降りていく。
 が思わず姿を追って走らせた視線のその先で、人斬りの双眸がを捉えていた。