煌びやかに着飾り大王の寝所に侍る機会を得る女はごく一部。その裏で数千の女官と宦官が貧相な食事と寝床の見返りに心身をすり減らして日々働いている。
では妃達が恵まれているのかといえばそうでもなく。妬み嫉みが渦巻く後宮では、故郷から連れてきた長年の忠臣が野心から敵方に寝返ることも珍しい話ではない。拷問に堪えかねた侍女が主君を告発することだってザラにある。
────そんな中で、向と陽の存在は地獄に残された僅かな良心、清涼剤、オアシスだった。


***


「は、はじめまして。貴方が徐先生ですね?」
「向ちゃんから聞きました! とっても腕の立つお医者様なんですよね?」

 が向と陽という二人の宮女に声を掛けられたのは、後宮に入ってすぐのことだった。
向は大王様の子を宿した宮女であり、大王様からは彼女の出産までのサポートを頼まれている。恐らくの事は大王様から事前に聞かされているのだろう。

「これは向様に陽様。此方からご挨拶に参るべきところを申し訳ございません。医師の徐と申します。若輩者ではありますが向様の診察には大王様の医師団と共に当たりますので、どうぞご安心くださいませ」
「あら、そんな謙遜しなくたって貴方の武勇伝はしっかり聞いているわ! 向ちゃんのこと、どうかよろしくお願いします」
「そうですよ! 蕞が合従軍に落とされなかったのは徐先生の尽力があったからだとお聞きしました!」

 そう熱を込めて語る陽と向の目は爛々と輝いている。大王様がどんな話をしたのか知れないが、二人の様子からするにかなりの過大評価をされている予感しかしなかった。
 大王様を嘘つきにせずにどう訂正したものかとが頭を悩ませているうちに、今度は陽の方がすごい剣幕で此方に詰め寄ってきた。

「ところで徐先生は飛信隊の軍医をされていたのでしょう? 隊長の信様はどんなお方なのかしら!?」

 戦場と全く接点の無さそうな宮女の口から信の名前が出てきて思わず驚きの目で陽を見返す。
 本当に、うちの隊長はいったい何者なんだろうか。大王様の友達というだけでも驚いたのに、後宮の宮女とまで接点があるなんて────

「そう、ですね……私が信千人将と一緒に過ごした期間はそれほど長くないので、よく分からないことも多いのですが……曲がったことが嫌いな、とても真っ直ぐな人ですね。仲間想いで、亡くなった仲間の無念も力に変えて。それに仲間内だけでなく、関わりのない民間人にも思い遣りのあるとても優しい人だと思います」

 二人して食い入るようにして信の話を聞いている。曰く、向は大王様がかつて刺客に襲われた時にその場にいて、信がボロボロになりながらも大王様を守る姿を見ていたらしい。陽はその時の信の武勇伝を向から聞いて、加えて武門の出だから実家伝いで戦場での飛信隊の活躍譚も続々と入ってきて、密かに恋心を募らせてきたのだとか。
 自身も信に命を助けられたことを話すと、陽はきゃいきゃいとはしゃいで頬を桃色に染める。
 そんな陽の隣で、向がおずおずと言いにくそうに切り出した。

「あ、あの……徐先生は、その。信殿とはどういった関係なのですか?」
「私ですか? そこまで長い付き合いではないのですが、心から信頼している上官ですよ」
「そうじゃなくて、その……恋仲だったり、されるのですか?」

 予想外の質問に面食らって答えに窮していると、向は一回り二回りも縮こまってしまった。本来そんな事をてらいなく聞ける性格ではないのだろう。隣の陽に気遣わしげな視線を送っているのを見るに、純粋に陽の恋路の行く末を心配して尋ねているようだった。

「……“私は”、信千人将と別にそういう関係じゃないですよ」
「そ、そそそ、そうですよね! 変なこと聞いちゃってすみません! すみません!」
「徐先生は、ということは他に信様と好い仲の女子がいるのですか!?」

 恐縮して何度も頭を下げる向と入れ替わりに今度は陽がに詰め寄ってくる。対照的な二人の態度に、手のかかる妹ができたような気持ちになって、思わず頬がゆるむ。

「いやー……それは、どうでしょう。私も飛信隊に入ったのは最近ですから」
「聞いた所では、飛信隊には物凄く腕の立つ女軍師がいるとか!」

 事故とはいえ貂と信がキスしてしまった場面を思い出して、どうしても歯切れが悪くなる。そんなの心中を見透かしてか、陽の追及は終わりそうにない。

「確かに飛信隊の軍師は女の子ですけど、特別『腕が立つ』というわけでは……。それは別の、羌瘣という副長のことかもしれません。今は事情あって隊を離れているらしくて、私は直接お会いしたことが無いんですけどね」
「さすが信様、既に恋敵が二人もいるなんて……でも障害が多いほど恋は燃えるのよね!」

 そう言って拳に力を籠める陽に、まさか実力行使に出るつもりだろうか、と心配になる。副長の羌瘣は物凄く腕が立つという話だし、貂だっていざという時の為に強力な毒矢を持ち歩いていると聞いている。
 なんとか陽が羌瘣と貂に突撃することがないようにしないと!というか宮女である陽が宮城から出ること自体が大変な事態だ────嫌な想像がぐるぐると巡ってが顔をこわばらせていたら、それにつられてか、ますます向の困り眉の傾斜が直角に近くなっていく。ああ、まずい。どうにかこの事態を打開しないと妊婦の負担になりかねないと────は頭をフル回転させた。
 よし、此処は身を切る作戦で行こう。

「……ところでその、お二人にお尋ねしたいことがありまして……宮女の皆さんの私に対する風当たりがやたらと厳しいのですが、どうしてなのでしょうか?」
「あー……」
「えー……」
「それってどういう反応なんですか……」

 話題を変えるのには成功したみたいだが、二人の反応があまりにも微妙でどう捉えればいいのか解釈に困る。

「……ごめんなさい。もとはと言えば私が先生のことを誤解していたのがいけないんです!」
「陽ちゃんは悪くないよ! 私が中途半端に話しちゃったから……」
「と言いますと?」

 二人に敵意がないのはよく分かるので、何を言われても糾弾するつもりは全くなかった。そんな意図がきちんと伝わるように、努めて穏やかな声色で先を促す。

「向ちゃんは本当になにも悪くないんです……」

 こうして話を聞いていると向と陽の絆の強さがよく分かる。二人は互いに庇いあいながら、自分が悪い、いや自分の方が悪いと何度も頭を下げてくれる。しかし二人の説明を聞くに、二人から広まった情報は『大王様が女医を後宮に招いた』という事だけだったようだ。それが誤解に誤解を招いて徐という稀代の悪女爆誕に至ったのだそうだ────これで本来夜伽が行われる時間帯にが大王様を訪ねるような事などあれば、もう人の噂もなんとやらと世の関心が薄れていく事も期待できなくなりそうだった。


***


「────そういうわけでして、今後は他の医師と共に、昼間に呼びつけていただきたいのです。これ以上変な噂が広まっては、ご懐妊された妃様方の治療どころか、かえってご心痛の種になってしまいます」
「だが、向の誤解は解けたのだろう? ならば問題ないではないか」
「確かに向様にはご理解いただけましたが、楚夫人様にはいまだお会いすることすらできていません。このままですと御出産まで一度も診察をお許しいただけないかもしれません」

 楚夫人とはもうお一人のご懐妊中のお妃様だ。緑瑛の話ではもとから引き籠りがちの妃ではあったらしいが、そんな楚夫人のもとまでの悪女像はしっかり届いてしまっているようで、が訪ねていった時だけは窓も門扉を全て念入りに閉ざされてしまうのだ。体調不良ならが診ることもできると提案しても、楚から連れてきた専属の女医がいるから必要ない、との一点張りで取り付く島もない。
 これは大王様から口添えでもしてもらわないと、出産のサポートなどできるはずもないと思って切り出したのだが────

「彼女の事は気にしなくていい。楚の公主として国から連れてきた医者がいるはずだ」
「ですが、楚と秦とでは文字も度量衡も薬の名称も異なりますし、異国の方では何かと難しい事もあるのではないでしょうか」
「あいつらも昨日今日で秦に来たわけではない。援けを求めていない者にあまり深入りしない方がいいぞ」

 大王様に言われたことはにもよく分かっていた。他の医者に診てもらっているから大丈夫だと言われているのに、それでも自分の方が優れた治療ができるからと受診を強要するというのは傲慢だし、自己満足でしかない。
 それでも、未来の知識を持つ自分だからこそ何かできることがあるんじゃないか────そうは思っても、自分の素性を明かすことには踏み切れずにいる。楚夫人に固執しているのは心の内に巣食うこの後ろめたさを和らげたいからだ。どこまでも自分本位でしかなかった。


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「ねえ、明日も邸に来るって約束したよね? ちゃんの言う“明日”って数え方が違ったんだね?」