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不味いですよ、それ



 その日、私は“元”上司の葬儀のためにCCGの本局に来ていた。真戸さん達は“フエグチの娘”の重要な糸口を掴んだとかで欠席していたが、元パートナーの私まで参席しないのは流石に無理だった。

 葬儀中に泣き崩れた女性を見て、私は元上司が結婚指輪をしていた事を思い出した。決して“いい上司”とは言えなかった彼が家庭ではどんな夫だったのか、私は知らない。だけど殉職者の遺族には生活するに十分な年金が生涯支給されるのだから、その点においては“いい仕事”を彼はしたんじゃないだろうか。


「────お、じゃないか。やっぱりまだ生きてたか」

「お久しぶりです、篠原さん。あの、申し訳ありませんが人の頭をぐちゃぐちゃに撫でまわすのは止めて頂けますか」


 堅苦しい葬儀会場からやっと脱出することが出来て、私は溜まった息を吐き出した。それを目敏く見つけたのは、篠原特等だった。
 背後からがっしり羽交い絞めにされて、わしわしと頭を掻きまわされる。


「ははは! “CCGの奇跡”のご利益にあやかろうと思ってな」

「何ですか? それ」

「おや知らなかったのかい。本局じゃ噂になってるよ。“絶対に死なない女、”ってね」


 何だその厳ついネーミングは。
 篠原さんによると、私の生存率が“100%”だという事から、最近一部の界隈で囁かれるようになったらしい。


「その理屈、変じゃないですか? 篠原さんや此処に居る皆さんだって生存率“100%”ですよね。それとも皆さん実は死んでたんですか」


 喰種捜査官の死亡率はドン引きするくらい高い。先日も真戸班の20区支局員が喰種に殺害されている。だけど今日だってこれだけの人間がこうして生きて集まっているのだから、私だけが“奇跡”だなんだと取りざたされる謂れは無い筈だ。


「“お前みたいな奴”が生き残ってるから“奇跡”なんだよ」

「丸ちゃん、言い方!」

「丸手特等……」


 篠原さんとの会話に入ってきた人物を見て、私は顔が引き攣るのを必死で抑えた。────全ての元凶は“この男”なのだ。私は元々事務方希望だったのに、この男の鶴の一声で、卒業以来ずっと現場第一線に投入され続けている。私が彼に何をしたと言うのか。“ちょこっと”彼の愛車を傷つけてしまっただけだというのに。


「CCG七不思議の一つだな。何でお前みたいな奴がまだ死んでないのか。それに“もう一つのあだ名”、知ってるか?」

「ちょっと、丸ちゃんそれは言わない方が……」


────“上官殺し”の
 丸手特等は楽しそうに言う。私の脳内は無数の“?マーク”で埋め尽くされた。


「……? 私、殺してませんけど」


 そう言った瞬間、丸手特等のこめかみに一瞬で青筋が走ったのが分かった。


「あ? んな事分かってるよ。それでもお前とコンビ組まされた上官が百発百中で殉職してるから言われてんだろ」


 丸手特等の言葉を聞いて、やっと私は合点が行った。そういえば、パートナーの葬儀に参加するのは今回で6度目だ。喰種捜査官の死亡率が高いとはいえ、上位捜査官だけが次々と死んで、下位捜査官の私が毎回生き残っているんだから、傍から見ればすごく不気味なんだろう。


 納得がいったので丸手特等にそれ以上私が反論することは無かった。むしろ篠原さんが代わりに怒ってくれている。
 丸手特等と篠原さんの舌戦が全く私の関係ない内容にまで及んだところで、私はごそごそと自分の鞄を漁った。葬儀中切っていた携帯の電源を入れると、何故か十件以上の不在着信が残されていた。発信元は全て20区支局だ。

ピロピロピロ

 折り返そうとした途端に携帯が鳴り出し、私は慌てて受信ボタンを押す。


「はい、ですが」

さん、すぐに支局に戻って来てください! 真戸上等が────』


 周囲にも聞こえる程の大音量がぐわんぐわんと私の耳に響いた。
 いつの間にか丸手特等と篠原さんは喧嘩を止めていた。二人の視線が私に突き刺さる。丸手特等の口が“ジョウカンゴロシ”と動いた気がした。



***



 数日空いただけなのに酷く久しぶりな気がした。
 カランカランと耳障りな音を立てて鐘がなる。「いらっしゃいませ」とカネキ君が迎えてくれた。誰も居ないカウンターに座って、いつものコーヒーを注文した。

 しばらくして運ばれてきたコーヒーを口に運ぶと、何故か全く味がしなかった。今日も舐めるように眺めていたカネキ君の動作は“いつも通り”だった筈なのに。
 試しに、置いてあったシュガーポットからひと匙すくってみた。
 何も変わらない。苦みも、甘味も、よくわからない。

 たぶん疲れているんだろう。真戸さんが亡くなってから、ずっとバタバタしていたから。ああ、それなら糖分が必要かな、と思ってひと匙ひと匙増やしていった。口に含んだコーヒーがざりざりと音を立てる。これじゃあ、コーヒーじゃなくて砂を食べてるみたいだ。何だか可笑しくなってきて、私は笑った。


「あの……どうかされたんですか」

「ああ、すみません。ちょっと、上司が亡くなってしまったもので」


 私の声は自分で思っていたよりも明るかった。カネキ君は驚いた顔をしている。きっと彼にとって“人の死”は遠い世界の事だろう。私だってカネキ君と同じ世界に行きたい。上司や同僚が死なない普通の職場で働いて、美味しいご飯を食べて、暖かい布団でゆっくりと眠りたい。


「そうですか……それは、哀しいですよね」


 的外れなカネキ君のなぐさめは何故だか私の中にすとんと落ちた。あれ、私は哀しかったのか。
 今まで“生き残ってきた”という事は、それだけ沢山の人間の死を見てきたという事で。ひとり、ふたり、と失っていくうちに、いちいち悲しむのが馬鹿らしくなっていた。ああ、でもやっぱり、哀しかったんだ。


「すみません。そのコーヒー失敗してしまったので、淹れ直しても構いませんか?」


 そう言ってカネキ君は私がざらざらにしたコーヒーを下げてしまった。
 もう一度彼が淹れてくれたコーヒーは、とっても温かかった。