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美味しそう、食べちゃいたい



ふぁあああ、

 こらえ切れず気づけば巨大なあくびが漏れていた。横から突き刺さる視線が痛い。発信源は私の同期、亜門君だった。その目を見ただけで彼が「心底軽蔑する」と思っているのが分かった。それに「真面目だなあ」という視線を返していると、またもや大きなあくびが出る。ああ眠い、早く家に帰ってベッドにダイブしたい。


、お前には喰種捜査官であるという自覚はあるのか」

「ありますとも。これでも張り込み中は我慢してたんですから」


 亜門君と私はアカデミーでは同期だった。だけどスタート地点から全力疾走してきた彼と、余所見しながら適当に歩いてきた私とでは、天と地ほどの差が既に開いていた。彼は同期一の出世頭だが、私はまあ、残念ながら下から数えた方が速い。当たり前のように、階級も私の方が下だ。


「当然の事を自慢げに言うな。それにどうして制服を着用してないんだ」

「先日ココアを盛大に零してしまいまして。今はクリーニング中です」


 亜門君は大きくため息を吐く。ああ、何だ。貴方も悩める同志だったのか。


「やっぱり亜門さんも苦労されてるんですね。どうしてあんな真っ白のコートが制服なんでしょう? おちおちカレーうどんも食べられませんし」

「……もう良い、お前と話していると疲れる」


 そう言って亜門君は一人でさっさと行ってしまった。何が彼を怒らせたのかよくわからない。とはいえ彼にひたすらお説教されるのは嫌だったし、私としては願ったりかなったりだ。
 腕時計を確認すると今は午後3時。定例の会議は確か5時からのはずだし、私は少し寄り道してから戻るとしよう。



***



カランカラン

 ドアを開けると小さな鐘が音を立てた。「いらっしゃいませ」と迎えてくれたのは、“カネキ君”。この喫茶店“あんていく”は20区に配属された時たまたま寄り道した店だった。この店のコーヒーはとにかく美味しい。眠たくなったときはカフェインを摂りに必ずここに来るようになった。つまりは毎日通っている。

 カウンターのよく座る席が空いていたので案内を待たずに腰を掛けると、カネキ君も慣れたそぶりで注文を取る。


「こんにちは。今日もいつものコーヒーでよろしいですか?」

「はい、それで。お願いします」


 今日も素晴らしく不健康そうな彼に、私はとびっきりの笑顔を作ってお願いした。“カネキ君”という名前は、彼の会話にひたすら聞き耳を立て続けた末に得た情報だ。

────ストーカー、という単語が脳裏に浮かんで慌てて打ち消した。違う違う、断じて違う。私は市民の安全を守るおまわりさんで、公序良俗に反する行為はやっていない、と思う。

 コーヒーを入れるカネキ君を気づかれない上限レベルで舐めるように見ていた。私は彼を一目見たときから“ビビッ”と来ていた。昔から彼みたいなひょろひょろした男の子が好きで。なのに悲しいことに私の周りは亜門君みたいな筋肉ゴリラしかいない。カネキ君は私にとって本当に理想的な体型をしていた。


「お前も分かんのか。良いよなあ、アイツ」


────美味しそうだ、と隣の席のおじさんが話しかけて来た。
 「食べちゃいたいぐらいですね」と同意すると、おじさんは締まりのない顔でよだれを啜っていた。そうか、カネキ君の魅力はおじさんにも通用するのか。思わぬところにライバルが出現した。


「お待たせいたしました」

「あ、ありがとうございます」


 控えめな音を立てて置かれたコーヒー。酒を煽るように一気に飲み干し、私は会計をお願いした。レジを打つカネキ君は少し驚いた顔をしている。


「お忙しいんですね」

「あはは、休憩時間に抜け出してきたもので」


 お仕事大変そうですね、と言われて私は苦笑いしか返せなかった。彼には私はしがないOLだと言っている。けれど実態は憧れだったOL生活とは程遠く、今日とて泥臭い張り込みの末に血生臭い戦闘をしてきたばかりだった。
 ああ、転職したい。



***



 20区支部に戻った私は亜門君のげんこつで迎えられた。非常に痛い。亜門君は自分のゴリゴリな筋肉量を把握してから殴ってほしい。


「何でお前だけこんなに遅いんだ」


 定例会議は5時からの筈なのに、既に私以外の全員が揃っていた。あれ、4時からだったかな。
 眉間に何本も筋を入れる亜門君に、私は視線をさ迷わせた。まさか寄り道してイケメンウォッチングしてましたとも言えず、適当にそれらしい話を作る。


「帰り道で喰種らしき人間を見つけたので探ってたんですよ」

「ほーお、君、それで結果はどうだったんだい?」


 適当な作り話に真戸さんが食いついてしまった。仕方が無いので適当に嘘を重ねる。


「勘が外れましたねー。その人、ラーメン屋で大豚ダブル全マシマシを美味しそうに完食してましたし」

「君の“勘”は相変わらずポンコツだねえ。喰種が目の前に居ても気がつかないんじゃないかい」


 真戸さんの発言は失礼極まりなかったが、否定できないぐらいには私も“前科”を重ねている。とはいえ“喰種”の見た目は普通の人間と変わりないんだから、赫子を出さない限り見分けなんてつかないと思うんだけど。


「何でお前が俺達の班に来たんだ……」

「そう言われましても。文句なら私の“元”上司に言ってください」


 私がこの20区に来たのは、それまで組んでいた上等が殉職したからだ。Sレートの喰種に襲撃されて、あっさりと。彼は私を置いて逃げようとして、結局自分の方が襲われてしまった。後から知った話だが、その喰種は“枯れ専”だったらしい。20代の女は眼中に無かったのか、何だかんだで私だけ生き残ってしまった。


「上位捜査官と下位捜査官は一人ずつで組む筈だけどねえ。よっぽど人が足りてなかったのかな」

「そうだと思います。11区の方では多数殉職者も出ていますし」


 真戸さんは、見た目は変態じみているけど(性格もまあそうだけど)、部下の面倒見はいい人だ。本局の今を時めく凄腕捜査官法寺准特等も、かつては真戸さんの下で喰種捜査のいろはを学んだらしい。そんな凄い人だから、“余り者”の私を押し付けられたわけだ。何だか申し訳ない。

 世間話もそこそこに、私達はそれぞれの捜査経過を報告し合った。今私達が追っているのは“フエグチの娘”。
 途中からこの捜査に加わった私は、報告書でしかその喰種を知らない。自殺した人間の死体を食べていたという喰種。殺す必要はあるのだろうか。CCGには喰種が仇という人も沢山居て、その人達にとって喰種は皆等しく“バケモノ”なんだろう。アカデミーでも毎日のようにそう刷り込まれた。


「支局のあなた方の協力でこんなに早く“駆逐”できました。本部から特別な賞与もあるかと。しばらくは各人、勝利の余韻に浸りましょう」


 真戸さんの激励に支局員の二人は誇らしげな笑顔を見せた。
 “バケモノは駆逐されて然るべき”という信念を持って戦う彼らと、私は何だか相いれない。何処から人生の方向性を間違ったんだろう。奨学金制度に釣られてアカデミーにホイホイされなければ良かった。ああ、転職したい。