────薄情、なのだろうか。
 できれば、できることならば、彼らには関わりたくないのだ。
 放っておけば、きっと、私は彼らのことを好きになってしまう。
 彼らのことを、失いたくないと思ってしまう。
────関わらなければ、傷つかずにすむ。苦しまなくてすむ。
 結局、私は自分が可愛いだけなんだ。
 ふ、と自嘲の笑みが零れた。


孤独に



「なあ、清嗣クンって兄弟はおるん?」
「へ……?」
 歩と共に夕食の支度をしていた時だ。唐突な歩の問いに、は真意を掴みかねて間抜けな声を漏らした。
「ふふ、気になっただけよ? 清嗣クン、鉄之助君のことえらい可愛がってるから、同じぐらいの弟でもおるんかと思って」
「……別に可愛がっていませんよ」
「あら」
 の答えに、歩は意味深な笑みを浮かべる。
「彼みたいに、与えられた仕事をまともにやろうとしない人間は嫌いです。彼の姿はまさしくその心を現しているようだ。自分勝手で、周りの迷惑を想像できない、幼い“ガキ”」
 は焦りを誤魔化すように饒舌になった。
 実際には、歩の言う通りだ。は鉄之助の姿に、自身の弟を重ねていた。けれどそれは────それは、弟“清嗣”への裏切りだ。
「……あ」
 口に出してから言い過ぎたことに気が付いた。組織の中でそつなく暮らしていくためには他人の悪口などもっての外だというのに。
「ふふ。『やってしもたー』って顔しとるな。清嗣クンって案外分かりやすいなあ。……もう、大丈夫や。辰之助君に告げ口なんかせえへんから」
「す、すみません」
 危ないところだった。もし今の言葉が“あの”辰之助に聞かれていたら。きっと、無事では済まされなかったことだろう。
「アユ姉も、弟さんの悪口を他人に言われたら気分悪いですよね」
「あら、弟がおるやなんて言っとったっけ?」
「山崎烝って、アユ姉の弟ですよね。違いました?」
 歩は少し意外そうな顔を見せた。
 曰く、隊内でも二人が姉弟だと知らない人が多いらしい。確かに、明るく隊の誰とでも仲のいい歩と、あの何を考えているのかよく分からない鬱々とした烝を姉弟と結びつけるのは難しい。
 駄目だ、これを口に出したら確実に怒られる。
 歩といると余計な事まで口走ってしまう。恐らくそれは、歩の作る雰囲気に流されてしまうからなのだが。
「生意気やけどな。それでも弟やから──」
「歩さん!」
 ドタドタと荒々しい足音が聞こえたかと思ったら、鬼気迫る勢いで市村辰之助が飛び込んできた。
「あら、噂をすれば」
「アユ姉、後生ですから先程の話は……」
 血相を変えた辰之助の話によると、鉄之助が全身傷だらけで戻って来たらしい。沖田との稽古のせいらしいが────そう説明する辰之助は、今にも沖田を殺しに行きそうな目つきをしている。もっとも今は鉄之助の治療を優先させていて、実行には至ってないが。
「ごめんな、清嗣クン。鉄之助君の手当てしてくるから、残りの分、作っといてくれへん?」
 他人事の様に辰之助と歩のやり取りを聞いていたは、歩の言葉を聞いて一気に青褪めた。確かに残るは味噌汁の調理だけで、それも殆ど歩がやってくれてはいるのだが。
「わ、分かりました。鉄之助君の所に行ってあげて下さい」
 は精一杯の笑顔を作って歩と辰之助を送り出した。
 姿が見えなくなったところで盛大にため息を吐く。


***


「あれ、さんだけですか?」
「何ですか、冷やかしですか、邪魔するなら出て行ってもらえませんか、沖田さん」
 歩は中々戻ってこない。は味噌汁の仕上げにかなりてこずっていた。そんな中ひょっこりと顔を見せた沖田に対して、は繕うことなく苛立ちをぶつける。
「違いますよー! え、と……手伝います。アユ姉は鉄君の所に行ったんですよね? 彼が怪我したのは私のせいですし」
 台所の入り口で、申し訳なさそうな顔を浮かべながら沖田が所在なさげに立っている。
 その顔を見て、は怒りをぶつける先を失ってしまった。渋々沖田を調理場に迎え入れる。
 実際、猫の手も借りたいくらい困っていた。沖田が“猫の手”になるのかは分からないが。

────結果として、沖田は猫の手以上の働きを見せた。
 沖田の手を借りて作った味噌汁は大好評で、原田達にまで太鼓判を押されてしまった。
 褒めてくれと言いたげな目で見つめてくる沖田を無視して、は黙々と片付けを始めた。きっと、これが原田や永倉だったならば。は適当に感謝の言葉を並べて、次も手伝ってもらおうと算段をしただろう。
 何故か沖田に対してだけ、素直に“ありがとう”と言えなかった。


***


 翌朝、いつもの様には台所へと向かった。
 外はまだ薄暗い。
 勝手口の前には、調理場に入らず何故かぼんやりと庭を眺める歩がいた。
「アユ姉、どうかしたんですか?」
「……ん、ああ、ぼおっとしてたわ。さ、清嗣クン。今日は主菜にも挑戦してみよか!」
 歩はすぐに動揺を消していつもの顔に戻った。また誤魔化されてしまった気がする。
「あの、アユ姉。私に出来ることがあれば、言ってください。……力になれるかは分かりませんが」
 そう言って口に出してから、は後悔する。関わりたくない筈なのに自ら首を突っ込むなんて────
「ありがとう。でも、清嗣クンにはもう随分助けられとるんよ? 今日やってこうやって手伝いに来てくれとるし」
 誤魔化された気がしたが、結局それ以上は聞けなかった。もやもやと蠢く思考を意識的に追いやって、は目の前の鍋にだけ集中した。


***


 今日の朝食の評価は上々だった。とはいっても歩に言われた通りに忠実に従っただけであって、自身の腕前が上達したわけではないのだが。
「すみません、鉄之助君を見ませんでしたか」
「おお、比古! いやー今日の朝食は素晴らしかったぞ! もちろんお前が作った料理ならどんなに不味くとも食べられる自信が──」
「それより、鉄之助君がどこに居るのか知っているんですか、知らないんですか。どちらですか」
 近くにいた隊士に鉄之助の所在を聞いたはずなのに、彼は目を輝かせながらの料理について熱く語り始めた。
 気持ちが悪い。
 早々に話を切り、凄みを利かせてもう一度鉄之助の居場所を尋ねた。
「い、市村なら道場で稽古をしている筈だ」
「そうですか、ありがとうございます」
 は軽く頭を下げて足早に道場へと向かう。背後から「比古が俺に礼を言った……!」なんて声が聞こえてきたが、深くは考えないことにした。


 道場を覗いたが、そこに鉄之助の姿は無かった。
 騒がしい声のする庭の方へと出ると、何故か鉄之助が仰向けになって倒れていた。
「鉄之助君、ここに居たんですか」
「あれー清嗣クンどうしたの?」
「彼に頼み事があったんですけど……この様子じゃ無理そうですね」
 起き上がる気力も体力もないということなのか、稽古上がりらしい鉄之助はびしょ濡れのまま土の上で大の字になっていた。この様子からして、永倉達に相当にしごかれたようだ。
「稽古をされるのは結構ですけど、子供をいじめすぎると良くないですよ」
「うっせー……ガキ扱いすんじゃねー……」
「はは、まともに反論する気力すらないじゃない。無茶な稽古は身に付きませんよ、鉄之助君」
 いつもの鉄之助なら、すぐに噛み付いてきそうなものだが、今はそれすら出来ないらしい。
「清嗣は心配性だなー! 大じょーぶだって、“鉄”ってのは打たれりゃ打たれるほど強くなるってもんよ!」
「私は別にどうでもいいですけど。彼をいじめると、辰之助さんから刺されますよ、原田さん。今だってほら、そこの影から不穏な空気垂れ流していますし」
 はそう言って、辰之助が隠れている方を指さした────つもりだったのだが。の指の先には、にこやかに笑う若い男が立っていた。
「ヨーウ。左之、新八つぁーん!」
「いよーッ、平助!」

 見慣れない顔だったが、何者かはすぐに見当がついた。
 副長助勤の藤堂平助だ。察するに、原田や永倉と同類なのだろうが、隊長職の人間に失礼があってはよくないだろうとは居住まいを正した。
「お前これから稽古かー?」
「いらないところでお真面目だネ」
「なんだよそりゃ。ま、イイや、それより聞きたいんだけど……土方さんの小姓! どれぐらい可愛い!?」
 藤堂の突然の発言に、達は全員固まった。何を期待しているのか、藤堂は尚も自身の理想のお小姓像を語り続けている。
「いやー“あの土方さん”がお小姓を自分から指名して、お茶が下手でも文句なしらしいじゃん? 俺的には……瞳はキレイで、色も白くて、礼儀正しく、初々しく、それはそれは見目うるわしく……控えめに言ってもこんなカンジと予想してるんだけど!」
「おーう、平助。お前の妄想は気持ち悪いけど、案外当たってるかもな。ホラ、このコが噂のお小姓さんその一、清嗣クン」
 永倉が指さしたの顔を藤堂が凝視する。とりあえず笑っておくか、とが微笑を浮かべると、藤堂は輝かせていた瞳を曇らせて、申し訳なさそうにに謝った。
「おおー!!おー……。悪い………俺、美人さんより可愛い子が好きなんだ」
「えーっと……どうして私は勝手に期待されて勝手に失望されているんでしょうか。まあかわいい系がお好きという事でしたら、鉄之助君はいい感じなんじゃないですか、小柄でちまちましていて」
「なーっ! 失礼なことべらべら言ってんじゃねー清嗣!」
 子供扱いされるのがよっぽど嫌らしい。鉄之助は勢いよく起き上がってに食い掛った。
「か、かわいい……!!す、すげーっかわいいっ!!」
 どうやら鉄之助は藤堂のツボだったようだ。
 興奮する藤堂の姿に一同ドン引きする。そして徐々に明らかにされる藤堂の性癖に、永倉と原田はけらけらと笑った。それにつられて、も声を出して笑った。
 その後も次々と繰り出される永倉らの掛け合いにひとしきり笑った後、の脳裏に一瞬、乱丸達と笑いあった日々がよぎった。
────一瞬の内に、の心は戦国の代へと引き戻されていた。
 の表情を永倉が注意深く観察していたことにも、気が付かない程に。