04

おいしくできました



“あんていく”
 意味が分からず二度見した。どうして“梟”討伐の作戦要綱にあの店の名が挙げられているのだろうか。


「それ、ちゃんと読んどけよ。あと“遺書”も書いておくようにな。ま、“CCGの奇跡”には必要ないかもしれんが」

「はい、分かりました。頑張ります」


 上司の言葉は殆ど耳に入ってなかった。生返事をして私は自分のデスクに戻る。ずっと頭に鳴り響いていたのは、あの団子鼻さんの言葉だった。


『傍にあったものが何時までもそこにあるとは限らないんですよ。この店も、俺達も、貴方も、カネキくんも』


 “梟”はSSSレートの喰種で、過去には討伐に当たった特等全員が戦闘不能にされた事もある。流石に今回は真面目に書こうかと思い、私は行政書士さんに頼んで“公正証書遺言”にした。その費用を総務に経費として申請したら、呆気なく却下された。真面目に遺書を書く人は居ないのか。不測の事態に私の諭吉さんが数名犠牲になってしまった。



***



 そして私は呆気なく死にかけていた。
 梟討伐作戦の第1班になった私は、梟と戦う特等方の援護に当たっていた。まさしく前線中の前線だ。それでもバレット銃やらクインケやら駆使して、何とか特等方に他の喰種を近づけないよう奮闘していた。

 そんな中、無数に放出された梟の赫子が私の身体にも当たった。お腹に空いた穴は貫通しているのか何だかスースーして段々寒くなってきた。あ、コレ死ぬやつかも。ちゃんとした遺言、書いてて良かった。

 死の間際で、頭に浮かんだのは“あんていく”の人達の事だった。店長、怒るとこんなに怖い人だったんだな……。もしかしてカネキ君もこの戦いのどこかに居るんだろうか。


(とにかく、ここを離れよう……)


 ふらつく足を無理矢理動かした。こんなところで倒れていたら、仲間の邪魔になるし、そこらへんの喰種に栄養源として捕食されても困る。踏み潰された上に食べられるのは勘弁してほしかった。まあ、死んだらそんなこと気にならないのかもしれないけど。


 裏の通りに入っていけば、さっきまでの戦いが嘘のように静かだった。


「カネキ君……?」


 彼がいた。居なければ良かった。人のいない通りを走る青年を、かすれる声で呼び止めた。
 振り向いたのは白髪でガタイの良い喰種。ああ、やっぱりカネキ君だ。


「貴方は、“あんていく”の────」

「カネキ君、私を食べて」


 覚えていてくれたんだ、と嬉しくなって私は笑った。カネキ君の目が驚いたように大きく開いた。そっか、いつも眼帯で隠していた目はそんな色をしていたんだ。


「そんな事、出来ません」

「お願い。だってこのまま死んじゃったら私、“犬死に”じゃない。カネキ君は助けたい人が居るんでしょ? その力になれるなら私も嬉しい。筋肉ばっかりだから、美味しくないかもしれないけど、歯ごたえは良いと思う……」


 掠れる声で必死に願った。全身が痛い。早くこの苦しみから抜け出したかった。

 戸惑った様子のカネキ君が一歩ずつ近づいてくる。カネキ君の手が私の肩に触れた。初めてのボディタッチにドキドキして血がどくどく流れ出る。ああ良かった、食べてくれるんだ。そう思った。

 私の目の前で、カネキ君の身体が吹っ飛んだ。


「眼帯……! お前、に何をしようとしていた!!」


 カネキ君が瓦礫の中から起き上がった。大きなダメージは受けていないみたいで思わずホッとする。亜門君は今まで見たことがないぐらい怒っていた。亜門上等、亜門上等と何度も名前を呼ぶのに、私の声が掠れているからなのか、亜門君はもうカネキ君の事しか見えていないのか、彼は一度も振り向いてはくれなかった。

 二人が殺し合う所なんて見たくなかった。だけど私は今、甘いものを全く持っていなくて。


(ごめん、カネキ君。私じゃ亜門君を止められない)


 二人の攻撃がぶつかり合う寸前、私の意識は都合よく途切れた。



***



 次に目覚めたとき、私は“CCGの奇跡”として知らない局員からも拝まれる存在になっていた。
 それならば、と階級の方も二つぐらい上がっていることを期待したが、まあ死んでいなかったし、特に大きな戦果を残したわけでも無かったから、当たり前の様に据え置きだった。


「鈴屋君、今日も来てたんだ」

サンとは毎日会いますね」


 私と鈴屋君は車椅子で毎日ここまで通っている。静かな病室に響く機械音だけが、篠原さんがまだ生きているという事を証明してくれる。
 篠原さんの意識はもう戻らないと言われた。鈴屋君は片足を失った。亜門君は帰ってこなかった。“あんていく”は取り壊された。カネキ君は居なくなってしまった。

 私達はたくさん失った。ただ“生きていた”だけで、誰からも“奇跡”だと言われるぐらいに。


サンが生きてて良かったです」

「それはお菓子係が居なくなるから?」


 鈴谷君は満面の笑みで頷く。
 まあこういう素直な性格が鈴屋君の良いところだと思う。私だってあの時は絶対に死んだと思ったんだけど、それを丸手特等に言ったら鼻で笑われた。私の怪我は死ぬようなもんじゃ無かったらしい。盛大な死ぬ死ぬ詐欺をしてしまったわけで、あんな風にカネキ君に迫ってしまった事を少し後悔していた。



***



 そして季節はめぐり、また春が来た。
 CCGには鈴屋君みたいに変わった人が沢山いるけれど、今年はまた違った意味で“変わった”新人が入局した。


(佐々木、排世……?)


 誰もが彼を『佐々木排世』と呼ぶ。少し黒髪の混じった白髪、少し伸びた背。少し陰のある笑い方。私には“カネキ君”にしか見えなかった。
 一度でいいから話をしたかったのに、彼の周りにはいつも有馬貴将特等や真戸暁一等が居た。守りが鉄壁すぎる。私は近づくことも出来なかった。


 私は虎視眈々と機会を狙いつつ、着々と準備を進めていった。“彼”の笑顔が見たくて、私はどんなことでも出来た。


(このままじゃ、絶対に不味い)


 日々の業務に忙殺されながらも、研究を重ね、何度も何度も練習をした。今度はちゃんと、美味しくなるように。

 そして数か月経った頃、ついにチャンスが巡って来た。
 私は戸惑う排世君の腕を引っ張って、薄暗い部屋へと連れ込んだ。無理矢理イスに座らせて、私はこれまで何度も練習をしてきた手順を一つ一つ進めていく。


「あ、あの……さん?ですよね。何をするつもりなんですか?」


 排世君は戸惑いながらも、部屋から出ようとはしなかった。初めて呼ばれた自分の名前にドキドキする心臓を私は必死で落ち着ける。緊張したままやると美味しくないらしい。


──────必要な分だけ取り出して、美味しくないところは取り除いて。少し粗めに挽くと風味が際立つらしい。何よりも鮮度が重要だと聞いたので、挽くのは直前にした。二回に分けて容器に注ぐ。ゆっくり、ゆっくりと慌てないように。


「“いい匂い”でしょ?」


 排世君の喉が物欲しげに鳴ったのが聞こえた。彼の前に“それ”を差し出す。


「どうぞ、召し上がれ」









***



「美味しい?」


 恐る恐るカップに口を付ける排世君に私はゆっくりと問いかけた。
 顔を上げた排世君は、とても穏やかな顔で微笑っていた。


「すごく……懐かしい、味がします」


 だってそれは“あんていく”の味だから。


「あの……また、淹れていただいても良いですか」

「ええ、もちろん」


 “カネキブレンド”を必死で練習した甲斐があったというものだ。“あなた”の笑顔は、私のぽっかり空いていた胸の穴を一瞬で埋めてくれた。