と翁の強い勧めにより葵屋にあがる事になった剣心は何とも言えない居心地の悪さを感じていた。
それはに対していまだにどう接すれば良いのか分からないという事が主な原因であった。
先日十数年ぶりに再会したは、「剣心と話すことは無い」と言ったかと思えば、東京から京都への道中ではかつての修業時代のようにくだらない話をしたりもする。剣心としては“あの時”の事をずっと謝りたいと思っていたのだが、今のところその機会には恵まれずにいた。
────そんな事を鬱々と考えながらの事をじっと見ていると、その気配に気がついたのかは小首を傾げてへらりと笑った。
そんな仕草の何もかもが、剣心にかつてのを思い起こさせる。
しかし目の前にいるは自分とは全く違う十数年を過ごしてきた人間であり、自身同様に全てが“昔のまま”とはいかないのは剣心にも痛いほど分かっていた。
別れた道、交 わる道
御茶を入れてこよう、と席を立っていた翁が座敷へと戻ってきた。
それに対しは内心ほっとする。剣心と二人きりで残されるのは少々居心地が悪かった。
「改めて、操を送り届けて下さった事に礼を言いたい」
「いや、拙者は礼を言われるような事はしていないでござるよ」
「操はわしに似て頑固なところがあるからの。
蒼紫様の行方がつかめるまでは帰ってこないんじゃないかと心配して居ったんじゃ。
操がこうして京に戻って来たのは緋村君の存在があったからこそじゃろうよ」
翁の話は妙な説得力があった。なるほど、育ての親ともなれば操の性格をよく分かっているのであろう。
操と言えば、とは一つの心配事を思い出した。
「そういえば剣心、翁には俺から話したけど、操ちゃんに蒼紫や般若達の事は伝えたのか?」
「いや……まだでござる。
あれだけ一生懸命に蒼紫の事を追いかけている操殿にどう伝えれば良いのか分からなかったでござるよ」
────それは剣心の優しさなのかもしれない。しかし、いずれは知ってしまう事なのだ。
自分だけずっと何も知らされないままである事の方が余計操の事を傷つけるのではないだろうか。
「剣心の気持ちは分かるけど、やっぱり折を見て操ちゃんに伝えてくれないか。
操ちゃんも後から人伝てに聞かされるよりも“当事者”である剣心から聞いた方が良いと思う」
「……そうでござるな」
としては、新月村の一件で操の甘い考えや身勝手な行動に苛立つ事もあったが、
基本的にあの少女の事は嫌いではない。むしろ羨ましいのかもしれない。
真っ直ぐで純粋な気持ちを持つ十六歳の少女は、が失ったものを全て持っているようにすら思えるのだ。
「緋村君には色々と迷惑をかけるの。
せめてもの気持ちと言ってはなんじゃが、わしらは腐っても元隠密御庭番衆じゃ。
困ったことがあれば何でも言ってくれて良いんじゃぞ。
から聞いたが、志々雄真実の件で京都に来たんじゃろう?」
「……そこまで御世話になる気はありません。やはり拙者はここらで御いとまするでござるよ」
「そう言うてくれるな、ワシは“操の育ての親”じゃぞ?」
そうニヤリと笑いながら言った翁の言葉は、
言外に『何か頼みごとをしてもらうまでは絶対に引き下がらない』という事を明瞭に示していた。
剣心もそれが分かったのか、諦めたように翁に二つの依頼をする。
「それでは……人探しをしてほしいでござる」
「ほう、人探しは御庭番衆の十八番じゃな! してその人物は」
剣心の依頼に嬉々とする翁の様子を見ては苦笑した。
義理の親子がここまで似るのか、という程にその様子は操とそっくりだ。
「一人目はこの折れた逆刃刀を打った刀匠“新井赤空殿”、二人目は拙者の師匠“比古清十郎”でござる」
二人目の人物の名にの心がざわりと波立った。
比古清十郎はのかつての師匠でもあったが、ずいぶん前に喧嘩別れをして以来会っていない。
今更ノコノコと会いに行ったら殺されるだろうか。
その所在自体はも全く知らなかったが、
剣心の頼み方では些か効率が悪いだろう、と幾つか補足をしておく事にした。
斎藤から言い渡された"緋村剣心の新しい刀の確保"の任務を忘れたわけではない。
「翁、“比古清十郎”というのは彼の隠し名ですから、普段は別の名を名乗っていると思います。
まあ彼は所謂“天才”なので、各方面で名を上げている人物を洗ってみるのが良いかもしれません」
「ふむ、それは中々骨が折れそうじゃのう」
「あと新井赤空に関してですが、風の噂で彼は亡くなったと聞きました。真偽の程は分かりませんが」
それを聞いたのは奇しくも××村での村民惨殺事件の際だった。
後に警察署での取調べで聞いた事なのだが、村人のほぼ全員を斬殺したあの事件の動機が
『新井赤空の最後の一作の切れ味を試してみたかった』というものだったのだ。
決して善人ではないからしても、身勝手極まりない殺人動機であったが、
これが本当だった場合“幕末の鬼才”として名を馳せた新井赤空は死亡している可能性が高いという事だ。
「ただもし本人が亡くなっていたとしても彼の作品は幾つか残されているでしょうし、
赤空の才能を受け継ぐ後継者がいるかもしれません。探す価値はあると思いますよ」
「そうじゃの」
の進言に深くうなずいた翁は
“黒”(彼は元隠密御庭番衆であり現在は板前として葵屋で働いている)に剣心の依頼を伝えた。
最重要の依頼として処理をするだろうが、この広い日本から生死不明の二人を探し当てるのだ。
ある程度は時間がかかる、という事でこの場は一時解散になった。
翁は『翁すぺしゃる夕餉ばーじょん☆』を振舞うと張り切って厨房に行った。
剣心は葵屋を離れ野宿をしようとしていたらしいが、
「調査結果の伝達が遅くなるぞ」と言われ、あっさりと葵屋に宿泊する事となった。
一方では翁に頼んで屋根裏部屋に隠された武器庫から幾つか武器を拝借していくことにした。
警官として働き始めてからは刀もしくは警棒のみで活動をしてきたが、
やはりなじんだ戦い方は刀と暗器を両方使うものである。
幸いにも翁は快諾してくれたのでは記憶を頼りに床の間の仕掛けを作動させ屋根裏部屋へと上がった。
***
料亭葵屋の天井裏に隠されたこの武器庫には、様々な武器と忍び装束、変装に使う衣装などが保管されている。
操や黒達の武器を持っていってしまっては申し訳ないので、使われていない武器はないかと物色していると、
部屋の片隅に置かれた行李箱の中に一そろいの苦内と手裏剣が納められていた。
────これは椿のものだ。
にはすぐに其れが分かった。
よく手入れされていて錆も無い。少し逡巡した後にはこれを使わせてもらう事に決めた。
刻まれた椿の紋様を見つめながら物思いに耽っていたは
武器庫に近づいてくる一人の気配に気がついた。
「何の用、剣心」
「……あの時は、すまなかった」
剣心からの謝罪はある程度予想できたものだったが、
それはにとって受け入れ難いものだった。
「これ以上俺達の事を馬鹿にするのは止めてくれ。
俺達御庭番衆は必要があれば人殺しもする。人の命を奪う以上、殺される覚悟もしていた」
「しかし……彼女はにとって大切な人だったんだろう」
は少し苛立った様子で剣心の謝罪を断った。
しかし剣心は納得が行かないのか、尚も食い下がってくる。
「椿の事で俺が憎んでいるとすれば……
それは剣心じゃなくて、大切な人を死なせてしまった自分自身だ」
のこの気持ちは剣心だって分かるはずだ。
剣心の頬の傷が未だ癒えないのは、妻を守れなかった事に対する自責の念に囚われているからだろう。
「あからさまに避けたりして悪かったよ。
剣心の顔を見てるとどうしても昔の事ばかり思い出しちゃってさ」
そう言うと剣心は幕末の頃を思い出したのか辛そうな顔をした。
それでもはかつての弟弟子にそんな顔をさせたいわけではなかった。
「でも昔の事って言っても悪いことばかりじゃないよ。
剣心と師匠は俺にとって家族みたいなもんだったし、修行も楽しかった。
これから一緒に日本を救おうっていうんだからさ、仲良くやろうよ」
そう言ってはニカっと笑った。
これはの本心だ。
幼い頃を一緒に過ごした剣心はにとって家族のようなものである。
いたずらに剣心を苦しめたいわけでは無いのだ。