「桔梗の紋!謀反人は明智光秀にございます!!」

 闇夜の静寂を轟くような怒号が破る。放たれた炎に焼かれた空は、まるでこの世の終わりの様だった。
 天正十年六月二日──時代の流れが大きく変わったその日── 私の身体は時代の渦の中に大きく飲み込まれてしまったのだ。



乱の鬨



────熱い。身体が焼かれる。
 “地面の冷たさ”には目を覚ました。辺りはまだ暗いが、どこかの屋敷の庭のようだった。身体を起こせば、地面が朝露に濡れていたのか着物の背が湿っている。

「あなたは……何者ですか」
 ぼんやりと霞がかっていた意識が徐々に晴れていく。気付けば、冷たい刃がの首筋に当てられていた。
 不覚だった。けれどこの動揺を覚られる訳にはいかない。
 目の前の男が少しでも手を動かせば首を切られる、そのままの状態では言い返した。
「無礼な。我が名を知りたくば、まずは自分から名乗れ」
 鋭い眼光で男を貫けば、一瞬の動揺が生まれる。「甘いな」と呟いて、はあらかじめ握っていた土を男に投げつけた。男が咄嗟に目をつぶった隙に足で刀をたたき落とす。振り上げた足を降ろすと同時に、男の鳩尾に数発の拳打と蹴りを渾身の力でお見舞いした。

────しかし男は倒れなかった。手強い、そう感じたは後ろへ飛び退り、間合いを置いて自らの刀を抜き構えた。
 その間に男もまた、落とされた刀を再び構える。先程まで僅かに残っていた甘さも今は無くなり、触れれば斬れてしまいそうな鋭い剣気を放っていた。
「……私は新選組助勤、沖田総司」
「しんせんぐみ……?お前は『明智』の手勢の者か!?」
 語気を強くしては叫んだ。
 明智光秀の軍下に『しんせんぐみ』という名の部隊を聞いた覚えは無かったが、謀反を企てた男だ。秘密裏に囲っていたとしても可笑しくはない。
「ここは何処だ。何故私を本能寺から連れ出したのだ!? どの様な拷問を行っても、『明智』には口を割らんぞ!!」
「本能寺……明智……?織田信長が明智光秀に討たれたという『本能寺の変』と何か関係があるのですか?」
 の言葉に、沖田という男は怪訝な表情を見せる。
 何らかの意図をもってを連れ出したにしては不自然な反応だ。何よりこの男は、いったい何を言っているんだ────
「討たれた……上様が……?……乱丸は…………?」
 頭の中がぐらぐらと揺れた。身体から全ての感覚が抜け落ちていくようだった。
────死人のように真白い顔になったは、そのまま糸が切れたように崩れ落ちた。
 突然のことに男が大いに対応に困ったのは、無理もないことだろう。


***


「土方さーん!助けてくださいよー!!」
 バン!と遠慮なしに障子を開けて入ってきたのは見知らぬ男を背負った沖田であった。
 まだ夜も明けていない時間帯だ。完全に寝ていた土方は不躾な訪問に面食らった。
「な、なんだ総司!? お前、その背中の奴はどうしたんだ!?」
 沖田はを床に降ろすと、事の次第を土方に話し始めた。しかし沖田自身何も状況を掴めていないようで、説明は全く要領を得ない。
「外は暗かったので気づきませんでしたが、この人煤まみれですよね。服も所々焦げていますし……。ねえ土方さん。もしかしたらこの人、本当に『本能寺の変』の時代から来たのかもしれませんよ……?」
「は!んなわけねえだろ、総司。冗談もたいがいにしろ」
 荒唐無稽な仮説をやけに真剣な表情で沖田は語る。
 土方は沖田の説明を鼻で嗤った。いつものように土方をからかっているに違いない。

「でも、この人が嘘をついているような感じはありませんでしたよ。それに拷問されても絶対に吐かないって言った時の、この人の目……あれは“侍の目”でした」
────達人同士が剣を合わせるとそれだけで互いの性格まで分かってしまう、と聞いたことがある。
 沖田の口調は真剣そのものだ。しかし『本能寺の変』は三百年近くも前の話だ。そんな過去からやって来たなどと、到底信じられる話ではない。
 思考を巡らせるも、起き抜けの頭では一向に答えは出そうにない。
 土方は眉根を寄せ、痛むこめかみを抑えながら深くため息を吐いた。
「……しゃあねえ、とりあえずこの件は保留だ。煤臭くてたまんねえし、お前の服にでも替えてやれ」
「ええ、そうですね。このままじゃ可哀想ですし……」
 沖田はそう言って男の着物を脱がせようと袂に手を掛ける。しかし何故かすぐに、その手を止めてしまった。
「おい、どうした総司」
「土方さん……これ、女物の着物ですよね?」
 沖田が男の懐から取り出したのは、上品な模様のあしらわれた美しい着物だった。それはどう見ても女物。
「え……この人……」
「おい総司、こいつぁ……」
 戸惑いつつ着物を傍らに置いた沖田が、驚愕の表情で男を見ながら言葉を失う。つられて沖田の視線の先を追い、土方は大きく目を見開いた。
────男の懐から覗いていたのは、さらしと、それによって押さえつけられた胸の膨らみだったのだ。