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さっき見たニュースによると、梅雨がもうすぐ明けるらしい。
今年の梅雨は少し長かった。
雨の日というのはみんな家に籠もりたがる。
だからそういう時、ちょっとだけ僕ら万屋の仕事は増える。買いものを代行したりだとか。……ほんとにちょっとだけど。
それでもジリ貧の僕らにとっては貴重な収入源になるわけで、こうして今も人通りの少ない通りを傘を差し歩いている。
せっかくの収入もすべて定春のエサ代に消えてしまうのだが、しょうがない。なにせ家賃滞納4ヶ月。
梅雨明けが近いとはいえ、空気はジメジメして湿っぽかった。この季節、苛立つ人は多い。
────まさかそれを身をもって体験するとは思わなかったけど。
鬱々と今月の家賃の事について考えながら下を向いて歩いていたため気づかなかったのだが、いつの間にか雨は止んでいたようで。
僕は差していた傘の水滴を落とそうと、誰もいない方に向かって傘をパンパンと何度か開け閉めした。
……よし、と思って傘を畳むと、僕の目の前には青筋立った強面のお兄さんが一人。
どうやら僕が飛ばした水滴がかかってしまったらしい。
────しまった、と思った時には既に遅かった。
お約束のように僕は胸ぐらをつかまれてしまった。
軽々と体が持ち上げられ焦る。
うわぁあーと心の中で絶叫しながら、必死で謝った。
こういう時、銀さんや神楽ちゃんならむしろ相手を叩きのめすぐらいなんだろうけど。
あいにくと僕は新八ですよ。そんなこと出来るわけがないじゃないですか。
すみません、すみません、ホントにすみません。と何度も繰り返すが許してくれる様子はない。
「お前、何してくれてんだよぉ。お前のせいで俺の一張羅がビショビショじゃねえか!!
……ちょうどいい、誰か殴る奴探してたんだよ。」
そういってニヤリと下品に笑うと、僕を掴んでいる手と反対の手が振り上げられる。
殴られる、と僕は反射的に目をつぶった。
嘘つきはどっち
バシッという音がした。
しかし覚悟していた衝撃はいつまでたってもやってこない。
おそるおそる目を開けると、そこには綺麗な女の人が男の重い拳を楽々と片手で受け止めていたのだ。
「こんな、いたいけな少年を殴ろうだなんて。外道も良いことね。
そんなに人を殴るのがお好きならお先に私からどうかしら?」
「あ゛ぁ?ねーちゃん、いい度胸じゃねーか。」
その女性はニッコリと笑って男を挑発した。
外道と言われた男は激高し額に青筋を浮かばせ、もう一度拳を女性に向かって振りかぶる。
それからの女性の一連の動きはまさに一瞬の出来事だった。
「う、うわぁぁあああ!?」
二メートル近い男の巨体が軽々と宙を舞ったのだ。
そして強かに地面に背中を打ち付けた男はあっけなく意識を失ってしまった。
僕は信じられない思いで、何度も男と女性を交互に見たが相変わらず女性は涼やかな表情のままだった。
「少年!大丈夫だった?」
そういって女性はニッコリと笑った。
「あ、ありがとうございました。……す、すごいですね。助かりました。」
僕は女性のあまりの強さに若干引き気味だったが、どうやら悪い人ではないのはよく分かった。
それなら良かった、といってもう行ってしまおうとする女性を僕は必死で引きとめる。
「あ、あの!何かお礼したいんですけど……!」
いきなり大声を出した僕に驚いたのか振り返った女性はきょとんとした表情を見せたが、
すぐににっこりと笑って、こちらに戻ってきてくれた。
「別に大したことしてないんだけどな。
じゃあお願いというか……人を探してるの。かぶき町に住んでるって聞いたんだけど。」
探しているという人の名前を聞いたらそれはそれは聞き覚えのある名前だった。
────坂田銀時。我らが万事屋のバカ店主じゃないか。
***
「銀さ〜ん、お客さんですよー!!」
万事屋に着くと大声で銀さんを呼んだ。
返事が返ってこないということは、出かけてるのか?鍵かけてないなんて、不用心だなあ。
「すみません、銀さん今出かけているみたいなので。もう少しこちらで待っていただけますか?」
「大丈夫ですよ、急ぎの用ではありませんので。」
「そうですか……すみません。」
そうまた謝って僕はお茶の用意をした。
銀さんのことだからどうせぷらぷらとしているんだろう。もしかたら遅くなってしまうかもしれない。
それにしても、銀さんにこんな美人の知り合いがいたなんて!
銀さんは昔攘夷志士だったらしいけど、そのころの知り合いだろうか。
いやでもこんな綺麗な女性が攘夷を……?ああ、でもすごく強かったし……
いろんな考えが浮かんできてもやもやする。
銀さん早く帰ってきてくれないかな、そしたらこの女性との関係だって聞けるかもしれない。
そうやきもきしてたら、玄関の引き戸がガラリと鳴った。
ドタドタと廊下を歩く足音からして、きっと銀さんだ。やった、帰ってきたんだ。
「おーっ、新八なにしてんだぁ?」
僕のはやる気持ちをよそに銀さんは相変わらずの間の抜けた声を出す。
「何って、銀さんにお客さんですよ!銀さんの昔の知り合いだって聞きましたよ?」
「んぁ?昔の知り合いって、どうせろくな奴じゃ……」
そう言いながら銀さんはやる気なさげに彼女の姿をとらえたところでピシリと固まってしまった。
手からスーパーのビニール袋が滑り落ちてグシャっと音を立てる。
「うわ、これ卵じゃないですか!銀さん何してんですか!?」
それを見て僕はあわてて銀さんの様子をうかがったが、
銀さんは例の女性を指さしたまま、死にかけの魚みたいに口をパクパクさせて動かない。
「銀時!久しぶりだね。」
僕の声で銀さんが帰宅したことに気づいたのか、女性がソファから立ち上がってこっちにやってきた。
心なしか声も弾んでいる気がする。
「…………お前ぇ何しに来たんだ。」
「何しにって……酷いなあ。ちょっと遊びに来ただけじゃない。」
「遊びにってなあ……お前、何年も音沙汰なしでいきなり来たんだ。
どうせ面倒くせえ厄介ごとでも背負い込んできたんだろ?」
そういって銀さんは顎で示して女性(さんっていうのか……)をソファへと座らせた。
そして自らも向かいのソファへとはぁーっと大きくため息をつきながら座り込んだ。
「えへ。」
「えへ……っておい。お前そんな可愛らしい言葉は使う人を選ぶんだよ。
結野アナみたいな女の子が使って初めて『萌え〜』ってなるんだからね。お前みたいなガサツな女が使っていい言葉じゃないからね!」
さんだって十分可愛らしいじゃないか、って僕は思ったけど銀さんは全力で否定している。
見た感じではすごく清楚な女性に見えるんだけど、ガサツって銀さんそれは酷いんじゃないか!
もう冷めてしまったお茶を入れなおすフリをして僕は二人の会話に必死で聞き耳を立てていた。
「銀時、お願い。しばらく此処にかくまってほしいの。」
「お前、言葉のキャッチボール出来てない自覚ある?どう考えても“銀さんがお願い聞いてあげる♪”みたいな流れじゃなかったでしょ。
ってか、やっぱり厄介ごと持ち込んできやがったな、このやろう。」
「えへ☆」
「おいおいおいだから、お前が『えへ☆』とか言っても何にも可愛くねえんだよ、語尾に☆つけたって何にもキュンキュン来るものねえんだよ。
だいたいかくまえって何からだよ。確かお前坂本と一緒に宇宙で商いやってたはずだろ!?」
そう言って銀さんがまくし立ててる。言葉のキャッチボールが全く行われていない。
あれ僕も何か違和感感じてきた。この人僕が今まで会ってきた人達と同類な気がしてきた。
「うん、実はね。
辰馬と一緒に商談で滞在してた星で暴漢……というかちょうどその星制圧しに来た宇宙海賊に襲われちゃってさあ。
死にたくないし必死で抵抗してたら、その海賊さんにスカウトされちゃったんだよね。」
「おい、マジかよ。何か銀さん嫌な予感すんだけど……その宇宙海賊って“春雨”って名前じゃねえよなあ!?」
「そうだよ、宇宙海賊春雨第七師団団長の神威に『俺の子供産んでよ』ってスカウトされたの。」
「やっぱりいいいいいいい、てかそれスカウトじゃなくてプロポぉズぅうううう。」
あまりの衝撃的事実に僕も思わず差し出すはずのお茶をこぼしてしまった。
慌てて床を拭くけど、手が震えて作業にならない。宇宙海賊!?春雨!?すかうと!!!???
「それでね、辰馬達の『びじねす』にもそろそろ飽きてきてたから、
この際、“宇宙海賊女王”を目指すのもいいかなあって。」
僕の中での引っ掛かりは今や確信へと変わっていた。
────この人は、今まで関わりあってきた人達と同じ人種……というか最もぶっ飛んだ部類に入るんじゃないか。
「それじゃあ、宇宙海賊女王を目指してるちゃんが何でここにいるのかな。
かくまってって、もしかしてあの神威からとか言わないよねえ!!??」
最後の方は銀さんの心の叫びだ。確かにもしさんが神威たちあの危険な夜兎族から匿ってくれと言ってるのだとしたら、
いくらなんでも厄介ごとにも程があるよ。万事屋っていったって出来ることには限界があるんだから。
「お願い!だって団長ったら何かといったら二言目には『殺しちゃうぞ☆』なんだよ!
阿伏兎も肝心な時には見て見ぬふりだし、あんなバイオレンスな人にはついてけないよ。だから家出してきちゃった。」
「お前、だからってなんで俺のとこに来るんだよ。これじゃあ銀さんがあのバカ兄貴に『殺されちゃうぞ☆』だよ。
坂本のとこにいけよ。あいつなら宇宙中飛び回ってるんだからそれこそ逃げ放題だろ。」
二人が無駄にクオリティの高い声マネをするもんだから、あの神威のぞっとするような笑顔が鮮明に浮かんできて僕は思わず鳥肌がたった。
「私も最初はそう思ったんだけど……辰馬は宇宙をフラフラしすぎてて居場所が全くつかめなかったの。
それで夜王の時の報告書に、銀時がこの町に住んでるってあったから……。」
「はあ……それでお手軽な銀ちゃんの方に来たってわけ!?
俺もとんだ貧乏くじ引いちまったもんだぜ。」
「……ごめん、銀時。」
銀さんの言葉にしゅんとしてしまったさんを見て銀さんはかなりバツの悪そうな顔をした。
「あ──ああ────分かったよ!
ただし一週間だけだからな!それ以上は自分でなんとかしろよ!」
「うん!分かった、銀時ありがとう!」
銀さんの言葉にさんの顔がパッと明るくなった。
「へーへー現金なこった。」
「あ、さっき銀時卵落としてたよね?スーパー行って買ってこようか?ついでに晩御飯も作ってあげる!」
さんの申し出は、いつも神楽ちゃんの卵かけご飯や姉上の卵焼きという名の暗黒物質みたいにまともな食事をしていない
僕たちからしたら願ってもないことだった。
「そういやー、お前料理だけは病的に上手かったな……」
「銀さん本当ですか!?やったーこれで久しぶりにマトモなご飯が食べられる!!」
「おう、そーだ。新八ついでにの護衛にでもついてってやれー。」
「え──!?無理で「よーし!そうと決まったらさっそく買い出しに行くよ、新八君!!」
護衛なんて絶対無理!と言いかけた僕の言葉を見事に遮って、さんは僕の腕をガシッと掴んできた。
そして神楽ちゃんに勝るとも劣らない馬鹿力で僕をずるずると引きずっていく。
僕の視線の先には『頑張ってネー♪』とのん気に手を振る銀さんの姿があった。てんめええええこの野郎、他人事だと思ってえええええ!!!!!!
────第一印象の、優しくて綺麗な人、というイメージは既に粉々に砕け散っていた。
確かにいい人なんだろうけど、いろいろと規格外すぎる。凡人の僕にはついていけないんです。
「ねえ、新八君。何が食べたい?
私こう見えて結構お金持ってるから何でも言って!パスタ・イン・クレーマー・ディ・グランキ・エ・ガンベーリ?ミレリーゲ・アラ・パンナ・コン・イ・ブロッコリ?」
「いやいやいや、そんな呪文料理見た事も聞いたこともないですよ。
さんにお任せします。」
「うーん……そっかぁ。じゃあポッロ・アル・ヴィーノ・ロッソにしよう!」
さんの口からつらつらと出てくる呪文料理の数々は万年卵かけご飯の僕には全く想像もつかなかったけど、
なんだか美味しそうということだけは分かった。夕飯への期待に引きずられていた足も自然と軽くなった。
そして何時もよりちょっとだけ早く大江戸スーパーに付いた僕たちは買い物かごを載せたカートをガラガラと押しながら、
数多くの食品を見て回った。
「さっき見た感じ冷蔵庫にはイチゴミルクしか置いてなかったから、
色々材料買わないとねー。ほんと銀時は相変わらずだよなあ。」
そういってさんは楽しそうに笑った。
何だかんだ銀さんと仲がいいんだろうな。
僕や神楽ちゃんだって銀さんとは浅くはない付き合いだと思ってるけど、それでも銀さんか過去の事を聞くことは滅多にない。
というか聞いちゃいけないような越えてはいけないような、そんな壁。その壁の内側にさんはいるのだろう。
「銀さんとは古くからのお知り合いなんですか?」
「ああ……うん、そうだよ。
攘夷戦争のころからかな。」
「攘夷戦争って、どうして……」
そう言った瞬間、僕はしまったと思った。
今日会ったばかりの人間が聞いていいようなことじゃなかった。あの銀さんですら、攘夷戦争についてはかなり口が重いっていうのに。
「どうして、か。
私ね……どうしても駄目だったの。普通に生活していても血がたぎって争いを、戦いを、血を求めてた。」
「血がたぎるって……さんがそんな、あの神威さんみたいな……」
さんの口から出てきた理由は、僕には想像もつかないものだった。
「ううん、その通り。私、夜兎と地球人のハーフなの。
父親が夜兎で母親が地球人のね。私が生まれる前に既に父は死んでいたらしいわ、戦いでね。
母は故郷である地球へ戻って私を育ててたんだけど……
私もその時はちょっと喧嘩好きな普通の女の子だった、と思う。
でも、母が盗賊に襲われて殺されてから……。
私の中の夜兎の血が抑えられなくなって、盗賊たちを皆殺しにして。それでも全然治まらなくって。
戦いのあるところを求めて彷徨っていたら……攘夷の戦いに行きついた。
天人とのハーフの私は、本来攘夷によって排斥される方だったんだけどね。
彼らは…銀時たちは、主義主張も何もない私を受け入れてくれた。
仲間として、一緒に戦ってくれたの。
そして教えてくれた。侍は、ただ人を傷つけるためじゃなく、自分の守りたいものがあるから戦うんだって。」
さんの食材を選ぶ手は止まっていなかったが、僕は目が離せなくなっていた。
こんな話を、ついさっき知り合ったばかりの人間に話してくれるだなんて、思ってもなかった。
「今回地球に来たのはね、確かに団長がバイオレンスだからってのもあるんだけど
……最近また血に負けそうになってたから。
銀時に会って確かめたくなったの、自分が何のために戦うのかってことを。
……ってあはは、何か話しすぎちゃったかな。いつもはこんな話しないのに。」
「本当だよ、俺にはそんな話してくれたことないじゃないか。」
……ん?あれ。僕たち二人で話していたよね。
ここは大江戸スーパーで、特に知り合いがいるわけでもない。
こんな重い話題にいきなりそこらへんのおばさんが乱入してきたのかな。
いやいやいや!!ありえない。それにこのどこか聞き覚えのある声は……
ぐぎぎぎぎぎぎと音が立つぐらいゆっくり、ゆっくりと僕とさんは後ろを振り返った。
「や、。3日ぶりだね。」
そういってポンと手を置かれたのはさんの肩だったのだが、神威さんの手が触れた次の瞬間にはさんは大江戸スーパーの端っこのフロアまで移動していた。
今の状況を置いといて、すごい速さ……と素直に感心してしまった。
「だだだだだだだだだだだだ団長……!!!!?????
どどどどどどどうしてっここここんな所にいるんですか???」
「どうしてって、がいるからに決まってるんじゃん。
なんでイキナリいなくなったの?探したんだヨー?」
「お父さん、お母さんごめんなさい。私の人生はここで終わりのようです。
もうすぐそちらに向かいます。美味しいご飯用意していてください。アーメン。」
現実逃避をし始めたさんは、遥か向こうで天を仰いでお祈りを始めた。
と思ったら隣にいたはずの神威が消えている。
「なにブツブツしゃべってんの?」
気づけば神威はさんの目の前に立っていた。
……と同時にさんはギュン!と効果音の着きそうなスピードで大江戸スーパーの出口をくぐっていた。
やっぱりこの人達は規格外だー!なんて思いながら僕も後を追った。追いつけるはずもないんだけど。
「逃げないでよ、話したいことがあるんだからサ。」
「うぎゃぁあああああああ」
でも、さん以上に神威のスピードはずば抜けていた。
気づけば神威さんは僕の視界から完全に消えていた。
既にさんに追いついたのか、店外からさんの絶叫がきこえる。
急いで僕もスーパーを出ると遥か向こうに米粒大の二人の姿が見えた。
さんは完全には追いつかれていないらしい。尋常じゃないスピードで二人は離れていく。
ヤバイ、このままじゃ完全に見失っちゃう!と僕は必死で二人を追った。