ロナルド・ノックスは噂話に敏感だ。
 様々な手段を駆使して情報を手に入れる訳だが、その“目的”はただ一つ。女の子との話のネタにする為だ。古今東西、女性という生き物は噂話が大好きだ。せっかくの合コンも女の子達の噂話についていけなければ、瞬く間に男性陣を無視した“女子会”へと変わってしまうのだから。

────そして今、ここ最近の噂の中心人物を前に、ロナルドは盛大に顔を歪めていた。


「彼が人材交流の一環で日本からやって来たMr.です」

「よろしくお願いします」


 管理課であるウィリアムに連れられて“その男”はやって来た。
 ウィリアムの隣でぺこり、と頭を下げた男──それが“日本式”の挨拶らしいが──は回収課の面々の拍手を受けても表情一つ動かさない。
 既に彼と一緒に仕事をした他課の女の子達は『とってもクールなの!』とか『ミステリアスな瞳に吸い込まれそう』とか言っていたけど、ただの仏頂面じゃないか────ロナルドはこれから一か月回収課で働くというに、初対面にして密かに敵愾心を抱いていた。


「あらマー、良い男じゃない! ウィル、この子のパートナーはアタシにして頂戴!」

「グレル・サトクリフ、黙りなさい。貴方の様な問題児に大事な客人を任せる訳が無いでしょう」

「酷い! せっかくアタシがちゃんにイギリス式を手取り・足取り・ナニ取り教えてあげようと思ったのに!」


 の容姿はサトクリフのタイプど真ん中だった様だ。科を作りに迫るサトクリフは正直言ってかなり気持ち悪い。


「Mr.のパートナーはロナルド・ノックスに頼みます」


────はあ?
 ウィリアムの発言に、ロナルドは思わず間の抜けた声を漏らした。



***



 が回収課に来てから一週間が経つ。
 ロナルドはに対する認識を少なからず改めていた。


「ロナルド、昨日の分の報告書まとめておいたよ」

「え、はや! もう出来たの?」


 はとにかく仕事が出来る男だった。日本の代表で英国に来るぐらいだから当たり前の事なのかもしれないが。加えて初日の仏頂面は彼曰くただ緊張していただけだったらしく、回収作業を共に数回こなす頃には軽口を交わすぐらいには打ち解けていた。


「そういや日本ってさ、サムライとか居るの?」

「今の日本には居ないよ。俺は“元”侍だけど」

「マジで! じゃあはハラキリしたんだ?」


 生のサムライにロナルドは興奮の声を上げた。
 死神は自殺した人間がなる────サムライはハラキリするというのがロナルドの日本に関する数少ない知識だ。


「俺はそうだけど……日本の死神でハラキリは少数派だな」

「へえ、そうなの?」

「腹を切っただけでは中々死ねないんだ。腹を刺した後に介錯人が首を刎ねるから、自殺扱いにはならない。どちらかといえば心中者が多いね。『来世で一緒に』とか言って死ぬんだろうけど、実際に“来世”で一緒に仕事すると喧嘩ばかりで刃傷沙汰によくなってる」


────デスサイズ持ち出して痴話喧嘩しだすんだから始末に負えないよなあ。
 あっけらかんとした調子では話す。しかし内容は中々にヘビーだな、とロナルドは頬を引き攣らせた。


「あれ、でもはハラキリなのに自殺なの?」

「ああ、腹を切っただけじゃ死なないから色々やったんだ。横に縦に腹を裂いて、内臓を引き摺りだして────」


 あの頃はやんちゃだった、とはしみじみ語りながら自身の腹を擦る。
 完全なる藪蛇だった。今日はご飯をおいしく食べられるか、ロナルドは自信がなくなった────



***



 が回収課に来てから二週間が経った。
 あの人見知りはなんだったのか。はロナルド以外の回収課の人間にもすっかり打ち解け、頻繁に明るい笑い声を漏らしていた。他課の女の子達はそれを盗み見ては『ギャップが良い!』『笑顔も素敵!』なんて騒いでいる。
 ロナルドはそんなにライバル感情を抱くことを諦めはじめていた。どうせあと二週間もすれば彼は日本に戻るのだ────それが少し寂しいと思うぐらいには、ロナルドはの事が気に入っているけれど。


「ねえ、見てよこのぶあっついリスト! こんなの残業確定じゃん」

「一か所の現場でその人数か……いったい何が起こるんだろうね」


 ある貴族の屋敷に二人は向かっていた。とっぷりと日も暮れ、郊外の屋敷へと続く道に人間の姿はない。
 管理課から渡されたリストを見ながらぼやくロナルドに、隣を歩くも大いに同意する。記載された死因は失血死やら転落死やら様々だ。しかし何故か数十人の人間のその死に場所が、ある貴族の屋敷で共通している。


、今何時?」

「ちょうど十二時をまわった所だ。全く、こんな真夜中に何があるんだか」


 そろそろ始まる頃か、と眼前にそびえる巨大な屋敷を見上げながらロナルドは呟いた。リストに記された最初の死亡時刻、静かな闇夜が瞬く間につんざくような悲鳴で満たされた────


「さっさと回収しちゃいましょー」


 鍵の掛けられた扉をこじ開け、二人は屋敷奥の地下室を目指した。
 鼻を突く血の臭い、何かが燃える焦げ臭さ、芳しい死の香り────


「生き残りは居ないようだな」


 そう言っては淡々とデスサイズを取り出す。
 足元に転がる死体の名前を探しペラペラとリストをめくっていく。


「……アドニス・ミルワード。1843年9月21日出生。出血多量により死亡、備考特に────」


 ふいに、書面を読み上げるの声が止まった。
「なんかあった?」と同じく回収作業をしていたロナルドはを振り返る。


「レコードが、出ない」


 固い声音でが示した事実。
────“魂”を盗られたという事か!


「ロナルド!」


 の叫び声に反応する間もなく、ロナルドの身体は壁に叩きつけられていた。
 息が詰まる。強烈な痛みに自身の身体を見下ろせば、胴の一部が、無くなっていた。


「ロナルド、大丈夫か」


 脚に力が入らない。壁に背を預け座り込むロナルドの前に、が立った。その背中からはがいったいどんな表情をしているのかは分からない。


「お前が“悪魔”ってやつか? 回収予定の魂をかすめ取るなんて、随分とはた迷惑な連中だな」

「えー? 俺を召喚するのにあんなショッボい生贄だけで済まそうとしたんだし、当然の報いでしょ。ここに居る人間の魂は全部俺が頂いたからね。残・念・無・念、死神クン達のお仕事はもう無いよー?」


 狼の姿をした悪魔は明るい声音でを挑発する。の表情はロナルドからは見えない。────けれど彼を取り巻く空気が徐々に暗く、重たく、冷たい物へと変わっていく。


 ロナルドが目で追えない程に、の太刀筋は速かった。
 瞬く間にその刀──サムライソード状でめちゃくちゃ格好いいな、とロナルドは密かに思っている──で悪魔の肉を削っていく。


「あっは! 強いね、君」


 血達磨になった狼の皮を悪魔は捨て去り、ヒトの姿となって余裕の笑みを浮かべる。


「五月蝿い。さっさとくたばれ」

「やなこった! うっわー何コレ、ちょー楽しい!」


 人間の姿に変わった悪魔は、ロナルドが動けないのを良い事にあっさりとそのデスサイズを奪い、楽しげに遊び始めた。
 芝刈り機型のデスサイズに乗り、ケラケラと嗤いながらの首を刈り取らんと狙いを定める。

 ロナルドは今すぐにでも悪魔の顔面を殴りデスサイズを奪い返したかったが、怪我のせいか立ち上がることすらままならない。不甲斐ないがに任せるしか無さそうだった。


「そんなほっそい刀で大丈夫かなー?」


 シンプルに武器の馬力だけでいえば、ロナルドのデスサイズの方が上なのだろう。しかしはそんな差を意に介する様子もなく、淡々と悪魔の攻撃を受け止め、流し、反対にその身体を切り刻んでいる。


「痛いなあ。でも彼の方がとっても痛そうだね! ふふふ、早く手当しないと死んじゃうカモ」


 は強く、彼ならばあの悪魔を殺せるだろうとロナルドは思った。
 しかし“悪魔の囁き”を聞いたに、一瞬の隙が生まれる。


「油・断・大・敵!」


 その一瞬の内にの左肩は芝刈り機によって深く抉られていた。宙に投げ出されたのデスサイズが悪魔の操る芝刈り機に刈り取られ、バキバキと音を立てて砕かれていく。


「ばいばい、死神クン達。また遊ぼうねー」


 そう言って悪魔は姿を消してしまった。
 立ち上がる事が出来ないロナルドは這うようにして地に伏すの元へと向かう。


「大丈夫か?

「そっちこそ、大丈夫か……?」


 は僅かに口角を上げて弱々しくロナルドに笑いかける。


「俺の事なんか気にする必要無かったんだよ。知ってんだろ、俺達死神は簡単に死んだりしないって」

「理屈では分かってたんだけどな。身体が言う事きかなかった」


 あっけらかんと言うの調子につられて、ロナルドも呆れたように苦笑を漏らした。



 結局、魂の回収は一つも行う事が出来ず、魂を奪った悪魔を駆除する事も出来ず。はデスサイズを破壊され、二人して深い傷を負ってしまった。
 精神的にも物理的にも大きな打撃を受け、二人は文字通り這い蹲って死神派遣協会へと戻る事となった。



***



 死神派遣協会に付属する病院の一室で、ロナルドとは隣同士のベッドに寝かされていた。二人とも一週間の入院と謹慎を言い渡されている。
 ロナルドに関していえば、普通の人間であれば死んでいたような怪我だった。
 しかし、三日もあれば腹に空いた穴も塞がるのだろう。────当たり前だ。自分はまだ、許されてはいないのだから。


「えー……、なんで入院中に報告書なんか書いてんのさ。謹慎終わってからで良いジャン」


 何もない病室で一週間過ごすのは退屈だったが、だからといってこんな時にまで仕事をする気にロナルドはなれない。
 は、ロナルドが意識を取り戻した頃には既に病室のベッド上で机に資料を広げ、片腕だけで黙々と仕事をこなしていた。怪我をした左腕はまだ満足には使えない筈だ。“仕事中毒”は日本人の気質なのか、それとも自身の性格によるものなのか。


「俺も出来れば休みたいんだけどね。謹慎が解けたらすぐに日本へ帰らないといけなくなったんだ。俺が報告書を放って帰ったらロナルド、大変だろ?」

「は? なにソレ。聞いてないんだけど」


 思ってもみなかったの説明にロナルドは片眉を上げる。────の研修期間はまだ残っている筈だ。


「俺のデスサイズ、奴に壊されただろ? アレの修理は日本じゃないと出来なくてさ。それで研修は早めに切り上げて帰国する事に決まったんだ」

「……ごめん。俺のデスサイズがアイツに奪われたせいで、お前の刀駄目にしちゃって……」

「はは。あれは俺の実力不足だからロナルドが気にする事じゃないよ。だけど芝刈り機に刀折られたなんて知られたら、玄さんに殺されるかもな」


 そう言っては腕を擦る。
 冗談っぽく言っているが、以前聞いた“玄さん”という鍛冶職人の話が本当ならば、が帰国早々に命の危機に立たされる事は間違いないだろう。


「はい、報告書と始末書。全員分書いておいたから、一応目を通してもらえる?」

「え、ウソ。あの人数をもう全部!?」


 「ロナルドが寝ていた間にな」とは悪戯っぽく笑う。
 ロナルドは吐き出したい感情の代わりに、深く深く息を吐いた。


────あの悪魔さえいなけりゃ、ともっと居られたのに!





 そしてが日本に帰国して後の事。
 『ロナルドが悪魔を見かけた途端、親の仇のように殺しにかかってた』なんて回収課の同僚が語っていたという話も、それを聞いたウィリアム・T・スピアーズが『彼も熱心に仕事をするようになったんですね』なんて感慨深げに呟いていたという目撃談も────全てはただの噂であり、真偽の程は定かでない。